おかしいことに、おかしいと言えるように
「私、やりたくないんです。」
かつて勤めていた会社で、ある後輩がこんな発言をした。
彼女がやりたくないと言ったのは、別に彼女だけに命じられた特別な仕事というわけではなく、その会社に身を置く以上やることが当たり前の業務だった。
それをやらないということは、その会社にいる意味がないというレベルのもの。
それでも彼女は、上記の発言を堂々と周囲に、そして上司にかましていた。
それを言うのであればもう会社を辞めた方がいいのでは、と僕は思ったのだが、彼女曰く職場環境に不満はなく、業務だけがイヤなので辞めたくはない気持ちもあるとのこと。
ハッキリ言ってワガママ以外の何者でもないのだが、彼女はそれを真剣に悩み周囲に漏らしていた。
僕はその話を聞いていて、正直早く辞めればいいのに、と思っていた。
業務がイヤでやりたくないというのは、言うなれば自分に与えられた職務の放棄をしていることに他ならない。
職場環境に不満はないとか辞めることを迷っているという話の前に、業務は自らが給与を受け取るプロとして行うべき最低限のことであり、それが出来ない・やりたくないのであれば自分のためにも会社のためにも辞めるべきではないか、というのが僕の考えだ。
それと僕が許せなかったのは、そんなことを言う彼女の営業成績が決して良くなく、むしろ悪かったこと。
どれだけ仕事がイヤだとかやりたくないという不満を漏らしていたとしても、最低限の結果を出していれば変な話あまり問題はないし、誰も文句は言わない。
しかし彼女においては、それが出来ていないことが数字を見て明らかだった。
やる気もないし結果も出せない。それは最早、会社にいる意味がない。
僕はそう思わずにはいられなかった。
それでも結局彼女は、上司に説得され会社を辞めず仕事を続けることになった。
しかしその後も繰り返し上記の発言をし続け、それは僕が辞める時まで変わらなかった。
今思い返してみても、このエピソードは僕をモヤモヤさせる。
あんな発言をしつつも、会社に残りイヤイヤ仕事を続け最低限の成績さえ出せなかった彼女。
そんな彼女に対して、根本的な解決を目指すのではなく「とりあえずもうちょっと頑張ってみようよ」なんてことを言っていた上司。
そしてそれを黙認していた会社。
何だか全部がおかしいとしか思えなかった。
でもそれをおかしいと思いつつも、何も言えなかった僕も情けなかった。
多分こういうことは、社会の至るところで起きているし特段珍しくも何ともない。
そして自分に関わりのないことである以上は、首を突っ込むことではないし見ないフリをするのが賢くて、気にしていたらキリがない。
特に会社という組織の中で上手に生きていくにあたっては、知らんぷりをするのが得策だ。
それが分かっていても、それでも僕は「それはおかしい」という声をあげられるような人間になりたいと思う。
それは誰かのためでも会社のためでもなく、他ならぬ自分のために。
違和感を丸呑みして、モヤモヤを抱えたまま過ごすのは自分を偽って生きているようなものだ。
そんな生き方は、これから先必ず自分を苦しめることになる。まさに今モヤモヤを感じている僕がいるように。
おかしいことに、おかしいと言う。
そんなシンプルなことが、当たり前に出来るように。