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「弱い文脈」の豊かな価値について 〜TAKRAM RADIO 3/9放送分を聴いて

3/9放送分のTAKRAM RADIO Bookmarkのコーナーで康太郎さんが「教養としての俳句」の内容を紹介する前段で「コンテクストデザイン」を短く説明されていた際に「N=1」という言葉を使われていました。そのおかげで、自分がなぜ康太郎さんの視点が気になり続けているか?にやっと気がつけたのと同時に「自分のテーマ」を発見できた、という話です。

下記は放送内容からの引用です。

コンテクストデザイン、弱い文脈、まだ社会の共通認識になっていないようなもの、たった1人の人が思っているだけのこと、主張しているだけのことってありますよね。N数で言うと1人だけ、N=1みたいな。個人の物語もそうだし。これは、一見役に立たないですね。それは社会の傾向を表していないし、マーケティング調査でも役に立たない。大勢の人を説得できない。でも実際に生きてる実感とか、生きる喜びというのは、いつもN=1の中の側にあるというか。みんなが同じように言っていることって全然生々しくないもの、のっぺりとした共通の最大公約数にしかならないので、他の人にわかるかわからないか、曖昧なところにこそ意味が宿っている様な、そんな気もしますよね。

J-WAVE takram radio

僕は仕事でWEBサイトの現状を調査することがあるのですが、その時にN=1行動を見ることを重要視しています。

WEBサイトの現状調査って、いわゆるアクセス解析で得られる結果ですと、このページのPVは〜とか、UUは〜という見方になります。

一方、僕は業務では1人の訪問者単位で行動データが蓄積されるツールを使っています。そのツールで得られたデータをじ〜っと覗き込んで、ある1人のサイト来訪者さんが「どんな暮らしの変化を起こそうとされているのか」「何に困って訪問されたのか」「どんなモノを使うことを楽しみにしながら何度もサイトに来ているのか」といったことを推測することを業務の一環で行っています。

これって、先のコンテキストデザインの説明に照らすなら、「一見役に立たない」「大勢の人を説得できない」であろうとしか思いづらいN=1の行動情報から「弱い文脈」を読み取っている作業なのでは?と思いました。

また、「他の人にわかるかわからないか、曖昧なところにこそ意味が宿っている様な、そんな気もしますよね」という言葉については、いやまさに、な体験を何度もしています。

例えば、僕が覗き込んだ1人1人の行動実績(N=1の弱い文脈)をWEBサービス運営者たちに見てもらう(個人情報などは含みません)と、こんな言葉をいただくことが多いです。

「ああ、わかる、このアイテムの後はこれ気になるよね〜」

「確かに、このページの表示だと見えづらいかも、こういう行動になっちゃうよね、ごめんなさいお客さま」

「え!?こういう方いらっしゃるの?だったらこういう風にサポートしたい」

N=1なので、統計的にこういう人が多いです、といったデータじゃ全然ないんですが、たった1人の方の行動から、こんなにも豊かに多くの示唆が得られるのか、と驚かされるくらいのリアクションが得られたりします。

けどけど、そんな1人の人の行動から妄想したプランが上手くワークすることって無いでしょ?と思われるかも知れません。僕も昔はそう思っていました。でも実際には、このN=1の弱い文脈から発露した解釈と、創作された解決案を実行した結果、想像以上に訪問者に喜ばれることも様々な機会で体験して来ました。

もちろん、1人の方がサイト内で行う行動というものは、誰かに何かを伝えようとする「表現」ではないんだけれど、書籍『コンテキストデザイン』で言及されているヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」の概念を拡張して捉えるならば、サイト内でその人が何に興味を持ち、どういう行動を行ったかという実績は、サイトやサービスという創作への参加であると言えるかも知れません。

今朝、radiko のタイムフリーで番組を聴きながら、僕は「そうか、そうだったんだ」と何度も頷きました。何かというと、僕は以前からN=1の生々しくて決してわかりやすくない「弱い文脈」が内包する豊かな価値を知っていて、そのチカラを信じていたのに、その想いを言語化することができていなかったんだと気付かされたんです。アート作品を見に行き、その作家の価値観や創作テーマに向き合うのと同様に、N=1データの中にひそむ人々の「表現」と僕は向き合い続けてるんだと、この放送をきっかけに自分の業務を新しく捉えなおすことができました。


数年前にふと聴いたTAKRAM RADIOで康太郎さんが話されていた様々なことに惹かれたことをきっかけに、気づいたら2019年の10月には森岡書店に走り、今はflier book camp「つくる」と「つくらない」のあわいに通ってるのは、この想いに気づくため、自分のテーマに出会うためだったのかも知れないと、心底腹落ちすることができました。

デジタル上に残されたN=1の弱い文脈の価値を伝えること。僕はこのテーマを深堀り・拡張していきたい。

46歳の今、自分がワクワクするテーマを新しく設定できたことが、この上なく嬉しい。

2023年3月11日
晴れた土曜日

上田貴弘

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