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ショートカットキーと中華鍋

仕事が遅いと職場の何人かに指摘された。だいたいの人がショートカットキーを覚えるように勧めてくれた。仕事の遅い者に対する定番のアドバイスなのだろう。

以前からショートカットキーの存在は知っていた。知っていただけで覚えようとは思わなかった。

覚えるのが大変そうだからだ。タネの分からない手品が魔法に見えるように、無知な私にはショートカットキーが魔法に見えた。

魔法を簡単に習得できるわけがない。半端な覚悟では覚えられないだろうと思った。

また私には半端な覚悟すらなかった。むしろショートカットキーを覚えないぞと逆方向の覚悟を持っていた。

私は作業の遅さを肯定的に考えていた。それは以下のような理屈からだ。

新幹線に乗っていては道端に咲くタンポポを見逃すだろう。
ゆっくり歩いていけばタンポポを見つけられる。

歩みが遅いからこそ見つけられる物があるという主張だ。私はスピードに自信がない。だが焦らない冷静さには自信がある。そんな自分を肯定するため、こんな思想(ポエム)に行き着いたのかもしれない。

私はこの思想を誰にも発表しなかった。脳内だけで思想を振り回し熱くなっていた。

脳内では気持ち良く語たられたこの思想も、職場では熱を失っていた。 今の状況で語ったら、熱心に考えた私の思想がただのイイワケ扱いされそうである。また向けられるであろう白い目も怖い。人はこうして屈していくのか。

私は決して屈しない。屈しないけれど、ひとまず思想は引っ込めてショートカットキーについて調べた。

使う頻度が高いであろうPhotshop、Chrom、Windows(私の会社にはなぜかMacがなかった)のショートカットキーを調べた。

検索すると「便利なショートカットキー〇〇選」みたいな記事がいくつかヒットした。いくつかの記事をピックアップし簡単に眺めた。眺めた中にかつて魔法と錯覚した操作があった。

その操作を魔法と錯覚したのは、以前の職場で先輩から仕事を教わっている時だった。先輩は私のパソコンを操作しながら仕事を教えてくれていた。私はそれを横から見ていた。

私は色々なアプリケーションを開いていたので、デスクトップはたくさんのウインドで埋まっていた。これではデスクトップにあるファイルを開けない。

この場合、私なら1つずつウインドを消してデスクトップを露わにしていく。

しかし先輩は違った。先輩がデスクトップに辿りつくまでの操作は以下である。

キーを一発「ターンッ」と打つ。

それで終わりだ。

山ほどあったウインドは一瞬で消滅し、デスクトップが露わになった。

高いレベルの操作が行われたのだと思った。私は先輩を玄人に認定した。先輩はキーを叩くとき横着な顔で叩いていた。その顔も実に玄人らしさかった。

デスクトップを一瞬で露わにしたあの魔法について、眺めていた記事にタネも仕掛けも書いてある。玄人として君臨していた先輩の地位も、実に怪しくなってきた。

あれは魔法ではなく「Windowsキー+D」だ。 「Windowsキー+D」 は開いているウインドを全て最小化し、デスクトップ画面を露わにするショートカットキーである。

タネが割れれば全く大した操作じゃない。キーを2つ押しただけのつまらない操作だ。

考えてみれば操作を簡潔にするためのショートカットキーなのだから難解なわけがない。

私はショートカットキーに玄人の幻影を見出し、先輩にハリボテの地位を与えていた。

そういえば無知だった頃の出来事をもうひとつ思い出した。意図せず何かのキーを押してしまい、開いていたウインドが急に消えたのだ。

仰天し、混迷した。「不用意にキーを押してはならない」そう脳に刻まれた。マウス操作ばかりするようになった。

あの日からかもしれない、ショートカットキーと距離ができたのは。思えばあれはただの「Windowsキー+D」だったのに・・・。

今日やっとショートカットキーと和解した。ショートカットキーは思ったより少ない労力で覚えられるかもしれないと思った。

ショートカットキーリストを眺め、使いそうなキーを2、3個覚える。これを定期的に行う。そうすればショートカットキーを使いこなせる日も来るだろう。

そして物を知らない人間からは玄人として一目おかれるのだ。少ない労力で一目おかれるとはコスパが良い。ショートカットキーはハッタリ好きには持って来いの技術だ。

こういうハッタリの効く技術を私はもう1つ知っている。知らない人間からは難しく思われている、実際にはそうでもない技術。見せかけだけなら簡単に習得できる技術である。

私の知る限りでは、中華料理の鍋振りがこれだ。私は以前ラーメン屋で働いていたので実体験からの意見だ。

私の働いていたラーメン屋では、ラーメンの他に中華鍋を使った炒め物を提供していた。チャーハンなどの炒め物を作るときは中華鍋を煽らなければならない。

私はこの「鍋を煽る」という技術を熟練者の技術だと考えていた。一応の様になるまで5年くらいは要するだろうと見積もっていた。

うなぎ屋の言葉である「串打ち3年、裂き8年、焼き一生」にインスパイアされた見積もりだった。

うなぎ屋と中華料理屋という違いはあれど同じ料理屋だ。似たような時間がかかるだろうと推測した。

また寿司職人は寿司を握らせてもらえるまで3年だか5年かかるという。それまでは海苔巻きである。この話も私の見積もりに大きな影響を与えていた。

料理の道の厳しさは何かにつけて吹聴されている。5年で済めば恩の字だとまで考えた。

結果をいえば、この見積もりは誤っていた。実際に鍋振りを行ってみると、一応の「様」になるまでなら半月もかからなかった。

これは高校生のバイトがやってもそうだったし、素性の怪しいオヤジがやってもそうだった。

本当に極めるためには何十年とかかるのかもしれない。ただそれはまた別の話だ。あくまで「様」になるだけなら半月もかからない。

私はなぜ見積もりを間違えたのか考えた。

まずはやたらに厳しさを吹聴する料理業界のせいである。料理の道の厳しさは語られ過ぎている。パッと思いつく限りでも「美味しんぼ」と「味いちもんめ」で存分に語られている。

次に初心者は熟練者に比べ成長が早いという点を考慮していなかった。

初心者は分かりやすくダメである。右手を出すべき場面で左手を出す。どこを直せば良いか明確だ。直したら直った部分がはっきり分かる。

ところが熟練者になると、ダメな部分が分かりにくい。右手を出すべき場面でちゃんと右手を出している。ただ出すのが0.1秒遅い。

そういうレベルの部分を発見して修正しなければならない。時間がかかる。苦労して直しても素人目には成長が分からない。

ひとつの道を突き詰めるより、色々な道で中途半端に成長したらコスパが良いかもしれない。特にハッタリの効く技術は率先して履修すると良い。

ただ履修したところでどうなるわけでもなさそうだ。披露する場面が巡ってきたら「すごいすごい」と持ち上げられたりはするだろう。ただそれだけだ。

とりあえずショートカットキーは使っていこうと思う。それだけでも2歩くらい前進した。

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