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noujirou512
小さく脆い才能でも磨き続ける
おはようございます!
司馬遷のことを時々思います。
歴史書を編纂する家系に生まれ、
ある事件で宮刑という
生殖器を切る罰を
受け入れてでも生き延びて、
史記という歴史に残る書物を書き上げる。
そこまでして書かなければならなかったのか。
どのような気持であったのか
いくら想像しても想像しきれません。
歴史を書きつける才能は
溢れるほどあったのでしょう。
その才能を、
どのような屈辱を受け入れてでも、
ふるったわけです。
*
才能と言えば、山月記があります。
主人公の李徴は、
あふれるばかりの才能を自覚しながら、
放浪し大成することなく狂った末に、
山で虎になってしまう物語です。
作者は、李徴のことを
臆病な自尊心と尊大な羞恥心を持つと
表現しました。
自分の才能を自覚・自負しながら、
それはほんものか?と怯え、
才能を磨くことを怠ってしまう。
それならば、凡人として暮らせばよいのに、
自分は人と違う才能があるとするプライドも
捨てられない。
不機嫌で剣呑な雰囲気をまとった人となる。
それを「虎」と表現したのでしょう。
*
人は、多かれ少なかれ、
天から与えられた才能=ギフトがあると
思っています。
それが大きかろうが小さかろうが、
強かろうが脆かろうが、
ただ取り出して、磨き続けるのが
よいのでしょう。
それしかできませんし。
そうすれば、
少しは幸せに近づける
と思いたい。
今日もよろしくお願いします。
安島