考えるのは怖いことでもある
おはようございます!
考えるのは良いことです。
そのことに、異論を唱える人は
いないでしょう。
ただ、考えていく先には、
結構、怖いこともあります。
例えば、
コロナ禍で家から出ないようにと
行動制限がされました。
繁華街には自主的に見回り組まででて、
街を守ろうとしていました。
日本ではほとんど問題に
されませんでしたが、
市民の行動をどこまで制限してよいのか?
市民の権利を守らなくてよいのか?
という見方は大切だと思います。
ドイツのメルケル首相は東ドイツ出身で
行動の制限はあってはならないけれども、
今だけはお願いしますと
記者会見をしていました。
コロナ禍の日本で、
市民の権利を声高に言おうものなら
袋叩きにあったかもしれません。
*
場面は変わりますが、
ホロコーストの裁判を取材していた
ハンナ・アーレントは、
犯人は決して極悪な人間ではなく、
平々凡々な市民であり、
誰でも凶暴なことをなしうるのだ
と警鐘を鳴らしました。
しかし、
凶暴な人間に違いないと思い込んでいる
当時のユダヤ人の同胞から非難を浴びて
社会的な立場がとても危なくなりました。
*
このように
考えることはとても良いことですが、
考えを尽き詰めていくと、
思わぬ立場を取らなければならなくなり、
社会的に孤立することもあります。
それでも、考えることは続けていきたい。
それならば、
考えた先に孤立しそうな人がいたら、
排除するのではなく、
違いに耳を傾け、認め合う気持ちで
臨みたいものです。
自戒を込めて。
今日もよろしくお願いします。
安島