きれいな字を書く人
おはようございます!
私は字がきれいではありません。
小学校までは、
ゆっくりですが丁寧に書いていたので、
見られた字でしたが、
中学から黒板の字を書き写す量が増え、
早く書くためか字が汚くなった
と母親に言われたことがあります。
仕事仲間に一人、達筆な人がいて、
いつもきれいだなあと
うらやましく思っています。
さて、党首選で候補者がご自身の主張を
手書きでパネルに記すことがあります。
人のことは言えませんが、
誰一人きれいな字だと
思える人はいません。
小中学校できれいな字を書きましょう
という教育はされていないのでしょう。
日本語も、
今はタイプで打つことがほとんどですし、
会議の議事録は音声から
自動で記録されるようになりました。
字は「書く」ことがなくなったのです。
綺麗な字という概念も
なくなっていくのでしょう。
さみしい気もしますが、
それが世の流れなのです。
*
字だけでなく、
素養というか、教養というものも
エリートから欠落してきました。
ひと昔なら、古典や歴史を会話の端々に
ちらりと感じさせられましたが、
最近はほとんど感じなくなりました。
博識として、披露する人はいますが、
教養がにじみ出ていると感じさせる人に
私は会うことがなくなりました。
しかし、
そういう素養や教養はこれからも
大切にされていくと私は思います。
そう考えると、きれいな字というものも
見直される可能性があります。
かのSteve Jobz氏は若いころ、
カタグラフィーという
文字の美的な側面を勉強し、
それがフォントとして私たちの生活に
浸透しています。
綺麗な字もどこかで
復活してくるかもしれません。
そんな話を
中高時代の国語の恩師に話したら、
私の字を見て、字は書き終わりの
はねる、とめる、はらうを
きちんとするだけで、
きれいに見えてくると教えてくれました。
今日もよろしくお願いします。
安島