客観の出発点となる主観
おはようございます!
今西錦司さんは「生物の世界」の序で
次のように書いています。
「この小著を、私は科学論文あるいは
科学書のつもりで書いたのではない。
それはそこから私の科学論文が
生まれ出ずるべき源泉であり、
その意味でそれは私自身であり、
私の自画像である。」
また本編では、
これは一つの見方であって、
気に入らぬ人の賛成を求めるつもりはない、
と述べています。
つまり、この文書は、
客観的な科学書ではなく、
主観的な文学書のようなものです。
今西錦司さんの世界観を描いたものです。
彼は、霊長類学の礎を築いたとされていて、
あらゆる生物に文化があるとするなど、
西洋の学問に殴り込みをかけるような
斬新な発想をされた方だと
私は理解しています。
新しい世界を切り開いていく時の
アプローチとは
こうしたものだと表しているのが、
「生物の世界」です。
客観的で小さな事実を
積み上げるだけではなく、
主観的で大きな世界観が、
どうしようもなく自分には
こう見えているのだという世界観があり、
それを苗床にして、
科学論文が出てくるアプローチです。
「生物の世界」は力強く
ご自身の言葉で書かれています。
今日もよろしくお願いします。
安島