脳は思考の為のものではなく運動するための物という原理から導ける、性格が悪くなってしまう人間のヒミツと、その解決策について

割引あり

脳は思考の為のものではなく、運動するための物という衝撃的な提言がある。


コロンブスの卵とでもいうか、確かにそう言われてみると、そんな感じがしなくもない話ではある。

この驚きの事実を言及した本を紹介したのだが、これらの本はかなり難しく、基礎知識や読み解きの為の補助線がないと理解できない人も多いだろう。



というわけで、今回は簡単な解説と、自分自身の瞑想体験などを組み合わせて、色々書いていこうかと思う。


フリンストンの自由エネルギー

そもそも、生物とは食べる事が生の主目的であった。

そういう意味では、樹木やミジンコ、あるいは原生生物的であるカイメンが、消化器官のような代謝機関ばかりを基準に動いていたとしても、それは普通の事である。


そこから腸管が発達し、腸管が迷走神経を介して神経系に影響を及ぼし、その先にある神経系がより高度に発達し、腸管というエネルギー代謝機関に効率よく食べ物を分け与えるように発達したものだと言われても、そこまで違和感はない。


昨今流行りのAIはニューラルネットワークという多層的な解析を行うことで高度に知的な解析が行えるようになったという点が革新的だ。


が、このニューラルネットワークを7層にしたという原理も、もともとは人間の脳が7層構築をしているというものに何となく合わせただけの事にすぎない。


そういう意味では、知性というのは腸管に効率よく食べ物を運ぶために身体を効率よく動かす為の反射プログラムを構築し、その過程でたまたま神経節が7層にわたるまでに多層化した結果、偶然発生した本当に意図せぬ副産物なのだという学説には、それなりの納得感はある。


さて、この知能の元となる脳の機能が、いったいどういうプログラムで動いているのかという演算様式が実は既に提唱されている。それがフリンストンの自由エネルギーである。


フリンストンの自由エネルギーというのは、物凄く簡潔に言ってしまえばベイズ推定という原理を用いて、確率を操作させ続けるというプログラムだ。


これだけだと何を言っているかサッパリわからないだろうからもう少し噛み砕いて説明しよう。


まず人間の中枢には、扁桃系という原始の脳の回路がある。この扁桃系というのは、人間の感覚で言うところの快感と不快感を発生させる部分だ(顕在性ネットワーク。通称SN)


例えば美味し食べ物が目の前にあったとしよう。そういう時に、あなたがそれを食べたいと思うのなら、脳はそれを食べるように神経内分泌を行い、それを食べるように貴方を動かす。


この動きの期待値を、食べ物が食べられるという期待値が最も高いであろう結論に導くように、人間を動かす(中枢実行ネットワーク、CEN)


ここまでなら単なるコントローラーに結びつけられたロボットと何も変わらないのだが、面白いのはここで個体は食べ物を食べる際に、自分自身に食べたいという理由を捏造させ続けるのである。


例えば嗅覚を使って「美味しそうな匂いがする」だとか、お腹をグーッと鳴らして「腹が減った」など、様々なインセンティブをヴィヴィッドに描き出し、それらを強い動機として結びつけ、更にはそれが複合される事で、物語という複雑性が生じる。


「朝起きたら、トースターからなんとも言えない香ばしい香りが漂ってきて、そこに深煎りしたコーヒーの香りも組み合わさった事で、僕のお腹は一瞬にして空腹状態になってしまった。それらをゆったりとした椅子に座って食べた時の、あの多幸感といったら!」


顕在性ネットーワクの快・不快に動かされた個体が、このように複数の感覚器官を介して多層性のある自我という物語を想像するのがデフォルト・モード・ネットワークという自我の中枢とも言われる領域だ(DMN)。


このデフォルト・モード・ネットワークこそが、人間が自分自身を唯一無二の個体として認識する根源的な領域であるというのが、現在の学説であるらしい。


自由意志とは、自分にとって都合のいい意識の事である

SNとCENとDMN。

七層の多層性を中枢神経に発生させ、それらをこの3つのネットワークで結びつけた結果が、人間が自我を持ち、そして意識的に行動し、この世に影響を生み出す事ができるという原理に結びついたのである。


これらは感覚器官を通じて、常に人間にフィードバックを与え続け、人格に影響を与え続ける。ホルモンなどの内分泌なども複合的に組み合わさってこれらが行われるわけで、誠に人間というのは面白いものである。


子供が大人となり、大人が様々な社会活動を通じて人格を発達させていくのは、恐らくなのだがハードである肉体の発達と、これらの3つのネットワークが独自の繋がりを形成した結果なのだろう。


そう考えると、私達の人生というのは、この回路をどういう風に美しく組み上げていくのかという修行のようなものなのだと思う。


それが自分自身で納得できるような美しさに導けたのなら、人生というものは上手くいったものだと言えるのかもしれないし、逆にあまりうまく作れていないのだというのなら、まあ修行が足りないという事なのだろう。


さて、ここまでフリンストンの自由エネルギーという原理をベースに、脳内の3つのネットワークで人間がどのように人格を構築していっているのかの概説のようなものを書いた。


実はここまでスルッと書いたものの、上記に書いたように心地よくいくばかりが人生ではない


例えば冒頭のトーストとコーヒーの逸話なら、同じような状況でも、例えば貴方が朝起きたらマフィアに拉致されてて、眼の前で子供を人質にとられるような状況でされたら、もう全然違う風景にしかみえないだろう。


「僕ちゃん…トーストとコーヒー…食べませんか?」


こんな情景で、子供がマフィアに食事をオススメされるような状態なら、まあ多くの人はトーストとコーヒーを美味しそうだなんて思い浮かべるような余裕は無いだろう。人によってはかなり不快な刺激に感じる人も多いだろう。


このように、同一の刺激を鼻に与えられたとしても、文脈が全然違えば人間は、その刺激を快ではなく不快なものとして判断するようになる。


実はここに非常に面白い原理が隠されている。そしてこれは瞑想体験を通じて、ブッダが私達に語った事とほぼ同じであり、かつそれは修行を通じて乗り越えられると語ったものとも、同じものなのだ。


この原理が読み解けると、実は”性格が悪いやつは何が問題なのか”という、非常に深遠な問題に対する解決策が導ける。どういう事か?それは…

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