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【カムヤマトイワレビコ】祝★建国!2月11日が建国記念の日になった話【日本神話】

どーも、たかしーのです。

今回も、日本の神話に登場する『カムヤマトイワレビコ』について、書いていきたいと思います!

前回の「神武東征」の続きからになります。
今回、ついに日本国初代天皇である『神武天皇』が誕生します!

神武東征(後編)

※今回も「古事記」をベースに書いていきます。

八咫烏「こっちやで~!」

前回、熊野で(というより熊野の山に住む土地神)に襲われたものの、アマテラスの命を受けたタケミカヅチタカクラジのおかげもあり、カムヤマトイワレビコ(以下、イワレビコ)は、このピンチなんとかを乗り越えることができました。

しかしながら、今後も試練が続くと予見したタカミムスビ(アマテラスと同じぐらいエライ天津神)は、イワレビコたちの案内役として、 八咫烏やたがらすを遣わせることにしました。

八咫烏

ちなみに、この八咫烏足が3本あるのが特徴で、実は日本サッカー協会のシンボルマークにもデザインされています。(よーく見ると、足が3本あるカラスが描かれています)

なぜ、八咫烏のデザインにしたのかというと、これから神武天皇の道案内をすることになるのですが、この話からチームを勝利に導いてくれるといった意味を込めて、デザインがされているそうです。(また、日本サッカーの生みの親として知られる 中村覚之助なかむらかくのすけが、熊野のある和歌山県出身だからとも言われています)

八咫烏に導かれる神武天皇
月岡芳年筆「大日本名将鑑」より(wikipedia)

こうして、イワレビコたちは、八咫烏の案内に従い、熊野を出発するのでした。

イワレビコたちのおおよその進路(はじめての三国志

それから、イワレビコたちは吉野(現在の奈良県南部)の川辺を経て、大和国の宇陀(現在の奈良県東部)にたどり着きました。
道中、イワレビコに忠誠を誓うためにやってきた土地神を配下にしながら進軍をしていったのですが、この土地神が、のちにヤマト王権を支える豪族の祖先神となります。

エウカシ「罠にハメるか」オトウカシ「・・・」

ところが、宇陀には、エウカシ(兄宇迦斯)とオトウカシ(弟宇迦斯)という兄弟がいたのですが、イワレビコに仕えることを良しと思っておらず、やってきた八咫烏に矢を放ち、追い払うという姿勢を見せるのでした。

エウカシとオトウカシ(はじめての三国志

なので、エウカシは、軍を率いて、イワレビコたちを迎え討とうと計画をしますが、軍勢を集めることができなかったので、一旦はイワレビコに仕えたフリをしてから、罠にハメることにしました。

その罠とは、 押機おしと呼ばれるもので、てこなどの仕掛けによりおもしで人を圧死させる装置をしかけた御殿を作り、そこにイワレビコを招き入れて、暗殺をしてしまおう、というものでした。(怖すぎる…)

早速、その御殿作りに取り掛かり、イワレビコをハメる準備が整いました。

ところが、兄であるエウカシの卑劣な計画に失望したからか、弟のオトウカシは、この計画をイワレビコに報告して、裏切ることを決断します!

この計画を聞いたイワレビコは、軍務担当のミチノオミ(道臣命)とオオクメ(大久米命)を、エウカシのもとへと遣わせました。この両神は、ヤマト王権の軍事を司る氏族の祖神であり、

  • ミチノオミ 大伴氏(おおともうじ/朝廷の軍事を司る氏族)の祖神

  • オオクメ 久米氏(くめうじ/朝廷の軍事を司る氏族)の祖神

とされています。

なお、「天孫降臨」のエピソードでも、別の神様が大伴氏・久米氏の祖神として、同じように登場をしていますので、軍事を司る氏族として、対等に扱っていたのかもしれません。

↓ 「天孫降臨」のエピソードはこちら。

で、この二柱が、エウカシに対して…

ミチノオミ・オオクメ「おい、エウカシはんよ!仕えるゆうんやったら、あんたが先に御殿に入って、はよ仕える様子を見せんかいっ!!」

と脅したので、しぶしぶ御殿に入ったエウカシは、たちまち自ら仕掛けた罠にまんまとハマり、圧死することになりました。(まさか、弟に裏切られるとは思わなかったのかな…)

なお、その後、圧死したエウカシの死体は、この地にバラバラに切り刻んでから撒いたそうなので、この地を「宇陀の血原」と呼ぶようになったそうです。(なんちゅうエピソードや…)

イワレビコ「よしワイも罠を仕掛けたろ!」

それからイワレビコたちは、奈良盆地に入って、 忍坂おさか(現在の奈良県桜井市)に到着します。

そこでは、今度は、イワレビコに恭順しない 土雲つちぐもと呼ばれる土着民たち(「古事記」では、 八十建やそたけると記載され、数多くの勇者の意味として表現されている)が待ち構えていました。

八十建(はじめての三国志

そんな敵意むき出しの土着民たちに、イワレビコは、ご馳走を振る舞うことにしました。しかし、これはイワレビコの罠でした。(今度はハメる側に…)

イワレビコは、土着民たちにそれぞれ 八十膳夫やそかわしでと呼ばれる料理人たちをあてがい、その料理人たちにそれぞれ刀を持たせました。

そして、その料理人たちに「歌を聴いたら、一斉に切りかかれ」と告げ、結果、この作戦どおりに一斉に斬りかかって、土着民たちを討伐することができました。(恐ろしすぎる…)

ラスボス・ナガスネビコ、再び現る!

その後も、イワレビコたちは進軍し、今度は宇陀にいた兄弟とは別のエシキ(兄師木)・オトシキ(弟師木)という土雲を倒して、しまいにはラスボスとして再び現れたナガスネビコ(登美能那賀須泥毘古)も撃破しました!(イツセの仇取ったどー!)

なお、このナガスネビコとの戦いの様子は「古事記」では詳細に記述されていないのですが、「日本書紀」にはその様子が記されており、苦戦を強いられていましたが…

月岡芳年「大日本名将鑑」より「神武天皇」(wikipedia)

突然、天が曇って、ひょうが降って来たかと思えば、そこで現れた 金鵄きんし金色のトビ)が、イワレビコの弓に止まり、そのトビの体から稲妻のように発せられた光によって、ナガスネビコの軍平たちの目がくらんだことで、形勢逆転し、見事打ち破ることができた、と描かれています。(次はトビに救われるイワレビコ…)

しかしながら、敗れたナガスネビコは、主君として仕えていたニギハヤヒ(邇芸速日命)こそが天津神の子孫であり、あとからやってきたイワレビコは天津神の皮を被った偽物だと主張して、戦いを辞めようとはしませんでした。

実は、ニギハヤヒは、ニニギが天孫降臨した後に、後を追って天から降りてきた天津神の子孫であり、ナガスネビコのその主張は間違ってはいませんでした。

ですが、主君であるニギハヤヒは、ナガスネビコが、同じ天津神の子孫であるイワレビコに全く恭順をしないため、ニギハヤヒ自らナガスネビコを討ち取り、イワレビコに帰順して、天津神のしるしである品物を献上したのです。

このニギハヤヒは、朝廷の祭祀を司る氏族・物部氏の祖神とされています。

神武天皇、爆誕!

こうして、ラスボスであったナガスネビコを倒し、同じ天津神の子孫であるニギハヤミも取り込んだことで、イワレビコは畿内の勢力をその手中に収めることとなったのです。

畝傍山(wikipedia)by ウォーレンさわかみ

かくして、イワレビコは、 畝傍山うねびやまの麓にある 橿原かしはら(現在の奈良県橿原市)を都として定め、イワレビコはこの地で日本国初代天皇として即位し、『神武天皇』と称されるようになりました!

橿原神宮の外拝殿、背景は畝傍山(wikipedia)

また、この都は、 橿原宮かしはらのみやと呼ばれ、現在この場所には橿原神宮があり、神武天皇とその皇后ヒメタタライスケヨリヒメが祀られています。

おわりに

神武天皇と八咫烏の肖像(月岡芳年)(wikipedia)

今回は『カムヤマトイワレビコ』、そしてついに『神武天皇』が誕生したお話を書いていきました。

なお、「日本書紀」では、イワレビコが『神武天皇』として即位した日が記されており、これを現在の暦に直すと、紀元前660年2月11日に即位したとされています。
つまり、この日が日本国が建国された日と定められ、今でも日本国民の祝日である「建国記念の日」となったのです。

もう今年(2024年)は過ぎてしまいましたが、来年の建国記念の日には、少しでも神武天皇が即位した日なんだなと頭に思い浮かべてみると、なんだか楽しくなるかもしれません。

他にも、歴史上の人物神話などをベースに、記事を書いていく予定ですので、是非フォローなどしてもらえるとありがたいです!

それでは!

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