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将棋のある今日を、これからも。|将棋とわたし

日本将棋連盟100周年、おめでとうございます。

実は芦屋市も、古くから「将棋文化振興自治体」の1つです。昨年は全国将棋サミットに初めて参加し、「国際文化住宅都市」として日本文化の1つである将棋の振興に取り組んでいます。

さて、昨年の将棋サミットでは、各自治体が「将棋とまちの関わり」について紹介するリーフレットがありました。芦屋市はタイトル戦開催などの事業は行ったことがないということで、代わりに市長のエッセイを寄稿しました。もしよろしければ、ぜひご笑覧ください。

これからも、私は「将棋文化振興自治体」の市長として、将棋の振興に貢献したいと考えています。もし良いアイデアがあれば、コメントで教えていただけると嬉しいです。

次の100年も、将棋のある今日が続きますように。

将棋サミット2023に出席し、芦屋市は素敵な記念品をいただきました



2020年3月、新型コロナウイルスの感染拡大。私はボストンの学生寮を追い出され、日本に帰ってきました。深夜にリモートの授業を受けながら課題に向き合っていた私にとって、おうちじかんを何より支えてくれたのは、将棋中継でした。


幼い頃からボードゲームが好きだった私を見て、母が買ってきてくれたスタディ将棋が、将棋との出会いでした。年末年始におじいちゃんが相手をしてくれるのが嬉しくて、でもなかなか勝てなくて、家で父と何度も練習をしていたことを覚えています。

小学5年生の担任の先生が将棋好きだったこともあり、クラスで始まった将棋の戦い。横綱から前頭まで、教室に張り出された番付表で、私は決まって2番手争いをしていました。近所の男の子にどうしても勝てず、なかなか上がれない東の横綱。休み時間には決まって将棋盤を囲むのが、クラスの文化でした。
中学校に入って、懐かしい将棋に久しぶりに取り組んでみようかと将棋部の門を叩きかけるも、あまりのレベルの高さにあえなく撤退。ラグビー部に入りました。私にとって、将棋はいつしか指すものから応援するものに変わっていきました。そして、少しずつ将棋との距離は離れていきました。


転機は2017年。羽生善治会長が評議員を務める財団の奨学生に選んでいただいたことです。懇親会で羽生会長と直接お話をさせていただき、私の研究に興味を持っていただけたことが本当に嬉しく、そこからまた少しずつ将棋に興味を持ち始めました。とはいえ、アメリカで棋戦を見るのは容易ではなく、たまにネットニュースを見るくらいのものでした。そして、迎えた2020年。
何気なく見始めた中継に、私は魅了されました。


81マスの上で踊る40枚。定跡を超えるチャレンジに、想像を超える手の応酬。休憩に入っても緩むことのない、張り詰めた緊張の糸。潔い投了と、空気が緩んだ瞬間に始まるあたたかな感想戦。

時には2日間にも及ぶ激しい戦いの最中に、信じられるのは自分だけ。
私が将棋に魅了されたのは、将棋が、生身の人類が自らのすべてのみを懸けて挑む営みだったからなのかもしれません。

工学を学んでいた私にとって、AIをはじめとした科学技術の活用は日常であり、必要不可欠なものでした。でも、どんなに難しい問題をプログラミングの力で解けるようになっても、小学生の頃に鉛筆と紙だけで挑んでいた問題を解けたときの喜びは超えられない。自らの頭脳だけをぶつけ合う将棋の崇高さは、私が昔感じていた「自らの頭を使うことの喜び」を思い出させてくれました。


芦屋市長に就任し、何より嬉しかったのは、我が芦屋市が「将棋文化振興自治体」だったということ。これは大きなチャンスをいただいたと思っています。
指す将も観る将も、もしかしたら食べ将も。国際文化住宅都市・芦屋として、将棋の魅力を全国に、全世界に発信するお手伝いができれば幸いです。

全国の将棋ファンの皆さん、一緒に将棋文化を世界に広げましょう!

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