俺にもあったんだ。あばら骨。つらいことの中に楽しみを見出した話
こんにちは!プリン王子(@takashi_iiii)です。「男は30歳から」という言葉に全く共感できずにいる29歳です。人生の節目なのでこれまでの人生を振り返ろうと思う。
プリン王子になる前の人生〜前半〜
1990年熊本生まれ。サラリーマンの父と専業主婦の母そして4つ下の妹の4人家族として何不自由なく暮らしていた。父が転勤族だったこともあり、それにあわせて幼稚園を転々とした。
仏教、キリスト教、無宗教それぞれ特色のある幼稚園に通ったおかげで、そこそこの順応性が身についたのかもしれない。
小学生の頃は自らをぽっちゃり系と主張するなかなかの肥満児で、妹には恥ずかしいから隣を歩かないでほしいと切実に言われたことを今でも覚えている。
かくいう妹は、運動神経抜群、ミニバスのキャプテンを務め、成績優秀、ショッピングモールで事務所にスカウトされるなどされていた。
対する私は、低身長、高体重、運動そこそこ、成績は優秀という子供。
俗に言う動けるデブというやつだ。
周りの女子たちからは、長年溜めこんできた肉の鎧のせいで、顔立ちがいいとか悪いとかを判断する前に足切りされていたであろうこと間違いないが、肌ツヤのよさだけには定評があった。
小学生時代の思い出と言えば身体測定後に肥満児だけに配られる赤紙を4年間連続受賞したことと、「おかわりじゃんけん」くらい
欠席の人がいたり、苦手な食べ物がある人がよそわなかったメニューをかけて繰り広げられる、食い意地と食い意地の戦にほぼ皆勤賞で参戦していたほど筋金入りのデブだった。
そのまま公立の中学に入学。
中学は「文武両道」をかかげており、部活所属がマストであった。
頑固で負けず嫌いな性格だった私は、普段から目の敵にされていた妹に対抗すべく「バスケ部」に入部。どっちがボールか分からない様な中スタートした部活ライフ。
また、同じ小学校だった友人たちは、小学校の頃から「サッカー」や「野球」を習っていた子達が多かったためそのままサッカー部、野球部に入部していったため、知り合いは誰1人いなかった。
正直なところ、妹でもバスケ出来るんだから、
俺もできるっしょ!ドッジボール得意だし!と、いった謎理論を展開していた私の自信は初日で砕かれることになる。
入部したのは陸上部だったかもしれない
「1年は外周8周」
グランド1周が500m。これを8周
4kmという距離は当時の私にとって、言うまでもなく酷でしかなかった。
もともと持久走は苦手で、マラソン大会では毎年、後方集団を守り抜いていた。
それに加えて他の部員達にはない 「重し」を体に抱えたまま走ることがどれだけの負担かということは言うまでもない。
そもそもバスケ部ならバスケットボールに触れる練習がメインだとたかをくくっていた。
たしかにバスケットという競技はサッカーに続いて40分間ほぼほぼの時間コートを駆け回る競技であり、走れない=技術以前の問題なのだ。
入部したのは陸上部だったかもしれない。
走り切った後は生まれたての小鹿なのか子豚なのかわからないが、とにかく足はガクガクだったのを今でも覚えている。
言うまでもなくバスケ部1年生の中では断トツで運動向きではなかった。
バスケ部なのに球に触る時間の方が少ない
ほんとに入部したのはバスケ部なのだろうか?
おそらくものすごい形相で苦しみながら走っていた気がする。周囲からは馬鹿にされていたかもしれない。みっともないと思われていたかもしれない。でも、そんなこと感じる暇もないくらい真剣に走っていた。絶対に足を止めない。
8周終えるまで絶対歩かない。
その時の自分を突き動かしていたのは
「自分ルール」であった。
自分で決めたことは最後までやり切る。
8周終えるまで足を止めない。
8周終えるまで歩かない。
それが出来ないなら死んだほうがマシ
ボールになかなか触れない詐欺にでもあったかのような思いと「自分ルール」を守るという思いで3ヶ月ほど過ごしたところ目に見えるカタチで成果が出始める。
母、歓喜の発見 「あばら骨」
風呂上がりに母が奇声を発した。
私の上半身を見て
「それ、あばら骨じゃない?」と言い驚いていた。
それもそのはず、物心ついたころには
肉の鎧を意味もなく武装していたため「あばら骨」という概念がなかったのである。
あの時の母の驚き様は今でも忘れていない。
持久走で学年10位に入賞
毎日走り込むことで4km走にも慣れ普通に走れるようになると同時に、小学生の頃には無縁の存在であった「あばら骨」と「腹筋」が自分にもあるということに気がつく。
(今、思い出せばこの頃はじめてメールアドレスの交換を女子とした気がする。)
この頃から入学当時とは見違えるくらい痩せてきて、ようやく運動部の体になった。
3年生の試合が近づいてきたことで1年はほぼほぼ走り込みとハンドリングの練習しかさせてもらえていなかったが、やると決めた以上は上手くなりたいという思いから朝早くきて自主練習に励むことによって少しずつではあるが、バスケの方もさまになっていった。そんな私の姿を見た1年の部員のT君とは気が合いよく練習前、練習後に一緒に1ON1をしたり、シュート練習をしていた。
冬の体育の授業は怪我をしやすいからという理由で持久走に切り替わる。具体的には外周8周。普段走り込んでいる4km走だ。学年の男子でタイムトライアルをして学年掲示板の横にタイムの張り紙が貼られるタイプのものである。
結果として学年で10位に入賞!
正直めちゃくちゃうれしかった!
今まで運動ができないことで馬鹿にしていた人達を見返すことができたことも理由の一つだが、何より自分との約束をきっちり守り抜いた結果が具現化できた。成果に繋がったのがとにかく嬉しかった。
同じ小学校に通っていた子たちには特に驚かれた。あいつが学年10位?すげー!となっていた。
つらい中に楽しさを見出す
人間とは不思議なもので、どんなにつらい
と思うことも反復、継続していくことでそれが普通になっていく。
達成できそうな目標設定と適度なストレスを感じる環境は人を成長させる。
逆に、何のストレスもない環境は人を怠慢にさせやる気がなくなる。
by どこかの偉い人
この場合、自身の目標設定が適度であったかどうかは目を瞑ろうと思うが、適度なストレスのおかげで成長できたことは紛れもない事実であった。
同時に以前まで出来なかったことが出来る様になったり、「成長を実感する」瞬間をたまらなく好きになった。
例えそれが目に見える成果に繋がらなかったとしても、その目標に向けて取り組んだ過程は決して無駄にはならない。むしろ上手くいかなかったことが分かったんだ。
仕事でもそうだ。
課題や目標にむかって一生懸命やった。
結果として上手くいかなかったとしても、そこから得られるものは多くある。どうしたら上手くいったか。何が足りなかったのか。しっかり検証して再度挑戦すればいい。上手くいくまでやり抜けばいい。
とはいっても反復して継続することは簡単そうで簡単ではない。
ただ、それをしっかりやれば、やり抜くことができれば人生はきっと楽しくなる。
どうやったら楽しいか。どうやったら上手くいくか。喜んでもらえるか。
口で言うのは簡単だし、実際渦中にいる時はつらいけれど、乗り越えた先にどういう世界が広がっているのか。想像するだけでわくわくするこの感覚に中1の頃に出会えたことは今でも自分の核であり財産となっている。
過去の自分それと今の若い子たちへ
自分でやると決めたことはやり切ってほしい。
それと自分のことは裏切るな。自分との約束は守れ。
きっとたのしくなるから。
これから先を楽しむために、今、頑張るんだ。
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