ブランディングには、「変わること」と「変わらないこと」がある
30年経ったブランディングの現在
“ブランディング”という言葉が国内のマーケティング領域でも多く聞かれ始めるようになったのは、バブル真っ只中の1990年代前半。海外のラグジュアリー・ファッションブランドが銀座を始めとした国内主要都市に次々と進出、消費者の買い物嗜好は商品の物的価値から情緒的価値へと大きく変化していきました。学術界でも、デビット・アーカー著の『ブランド・エクイティ戦略』が翻訳版が発売され、マーケティング研究者の必読書になり、ブランドをテーマとした論文の発表数が急増し始めたのもこの頃のことと記憶しています。
それから約30年経った現在、マーケターという職に就いている人であれば ブランディングという言葉を知らない人はいないほどに浸透し、ブランディングは企業のマーケティング活動における最重要の取組みとして位置付けられるようになりました。とくにコンシューマ市場を対象としたBtoC企業においてその重要性は必然のものとなるだけでなく、近年では産業材をはじめとするBtoB企業でも重視されるようになり、日清紡やAGCなど、産業材企業が直接消費者へのブランディングを進める「ダイレクト・ブランディング戦略」の実行も見られるようになってきました。
ですが、ふと思うのは、国内でも30年以上に渡って各企業が推進してきた歴史を持つ“ブランディング”という活動、言葉、概念が、なぜこうも曖昧でわかりにくく、理解し難いのかということです。
「ブランディングとマーケティングの違いがわからない…。」
「ブランディングはクールなロゴやクリエイティブを作ること…?」
こうした疑問や迷い、誤解は、新人マーケターの方もさることながら、ベテランのマーケターでも少なからず見られることのように感じています。
日本語で表せない言葉、ブランディング
その結果として起きている興味深い現象が、ブランディングという言葉が、未だ日本語で的確に表現されていないということです。ブランドは元々、家畜である牛に焼き印を押し、所有権を示すようになったことが始まりだと言われていますが、現代のブランドという概念には、所有権の提示や名付けといった機能的な証明としての価値だけでなく、権威性や象徴性、流行性、名声など様々価値が含まれていることは想像に難くありません。このように超・複合的な概念にまでブランドという言葉の意味が膨れ上がってしまったことが、単一の日本語で表現することをより難しくしているのでしょう。(ある意味、ブランドという言葉自体が、ブランド化してしまっている。)
ブランディングという言葉を日本語で言い換えるーーこれが今回のテーマです。より理解していただきやすいよう、最終的に単一の言葉に落とし込むことを目指しましたが、これだけ多くの意味や価値を含み、多面性を持った言葉を一単語に集約することやはり難しいことです。そこで思考を巡らせて気付いたことがあります。それは、ブランディングという言葉には日本人には不慣れであろう相反する対立概念が少なくとも2つは含まれているということで、これが単一の日本語での表現を難しくしていることの起因になっているように感じられました。
そのブランディングに含まれる相反する概念とは、「変わること」と「変わらないこと」です。
「変わること」を教え込まれた私たち
近年、国内でも騒がれるDXは「変わること」の代表的な活動ですが、私たち日本人は学校教育に置かれたときから、教科書から新しい知識を習得することを成長と教えられ、育てられてきました。就職活動においても自分を生かすことよりも、新たな自分を発見することに価値が見出されていたはずです。このように、新しい力を身につけ「変わること」が進歩・進化であり、成長につながることだと私たちは教え込まれてきたように思います。
こうした観念は産業界を見返しても同様で、遡れば、かつての日本の産業、とくにメーカーをはじめとする製造業では、世界に先駆けた先進的な新技術を開発・実装することで日本経済の成長に貢献してきた実績を誇り、それが成功パターンとして語られています。そして、近年のDX、少し前にバズワード化したイノベーションも、やはりこれまでとは異なるビジネスモデルへ「変わること」を良しとするコンセプトだと考えられます。
少し偏った考え方であることは承知の上ですが、私たちは心のどこかで現状維持は怠惰の証であり、新しい技術・知識・スキルを身につけ新たな自分や新たなビジネスに「変わること」が、強さや成長につながるのだと刷り込まれているように感じなくもありません。
一方、ブランディングはその活動の要素として、「変わること」に加えて「変わらないこと」が同時に存在し、しかも後者がより重要になります。
ブランドとは、その企業あるいは商品が誕生し、発売され、買われ、使われた歴史を踏まえて醸成されてきた価値を、言葉やデザイン等のクリエイティブで表した総合表現です。ブランドの機能の一つとして「知覚品質」ということが言われますが、消費者は商品に添えられたブランドのロゴや色、特徴的なデザインを見ることによって、その商品を特定・特別な物だと認識し、伝統や歴史を感じ、信頼性に気付き、ステータス性を見出します。
ルイ・ヴィトンの商品にあしらわれる独特のデザインパターンであるモノグラムや、ティファニーブルーと呼ばれるティファニーならではの青、マクドナルドにおなじみの黄色のMマーク等々、これらは「ブランド資産」と呼ばれ、特定のブランドであることを瞬間的に消費者に認識させものであって、これらのブランド資産は決して変わることがあってはなりません。これらのブランド資産が、もし消費者に告知なく変更されてしまえば、その商品はブランドと紐付かなくなり、当然、付随する特別なイメージが思い浮かべられることも無くなってしまうからです。
ブランド論では有名な話ですが、1985年のアメリカ&カナダで、コカ・コーラが「New Coke(ニューコーク)」の名で新しいフレーバーを発売するキャンペーンを実施、しかも従来のコーラを全て置き換えるというやり方に出た結果、消費者から「昔のコーラを返せ!」という抗議が殺到し、ニューコークのキャンペーンは中止を余儀なくされました。様々な調査でも知られるところですが、ペプシかコカ・コーラか、その味の違いはブラインド状態ではほとんどわからないにも関わらず、消費者にとって既存のコカ・コーラというブランドは味以上の価値を持つものであり、この”新しいコーラ”の例は、変えてはいけないところまでをも企業が一方的に変えてしまった結果に起こった例だと言えます。
ブランディングを進める上では、新しい姿へと「変わること」だけでなく、「変わらないこと」を守る意識を向ける必要もあるのです。
「変わらないこと」に固執しすぎてもダメ
しかし、「変わらないこと」を守るのがブランドにとって重要である一方、過去に固執をしすぎるとそのブランドは時代に取り残されていくことになります。
ドイツのシュニール織という独特の織技法を用いたラグジュアリーブランド、フェイラーのタオル・ハンカチは多くの方が目にしたことがあるはずです。40代の私にとっては母親や祖母が幼い自分に渡してくれた優しさの象徴のようなタオル・ハンカチ。ですが、フェイラーは「変わらないこと」を堅持しすぎたが故、エルダー・シニア層のイメージが強くなりすぎてしまった歴史を持つブランドでもあります。現在は、このイメージから脱却するため、フェイラーの何よりの特徴であるシュニール織は引き続き用いつつ、若い世代が好むようなキャラクターやデザインをあしらった商品ラインナップを追加、リブランディング(ブランド再生)に成功しつつあります。
また富裕層向けの自動車ブランドであるロールス・ロイスも、「変わらないこと」を堅持しすぎたブランドの一つです。その結果、若年の富裕層の取り込みにおいては、ベントレーやフェラーリ、ポルシェ等の高級車ブランドに人気の面で遅れをとっているようです。ロールス・ロイスは、今年10月、ブランド初となるEV車『スペクター』を発表、若年層を意識したスタイリッシュなデザインやカラーを用い、これらの層の獲得に舵を取り出しました。ロールス・ロイスの象徴であるエンブレムは変わらず車体に添えられています。
ブランディング=矛盾化=堅持+遷移
ブランディングとは、名称やロゴ、デザイン、色、形状、フォントなどのブランド資産のうち、「変えてはいけないこと」を決めて堅持し、「変えるべきところ」を見定め変革する二面的な活動です。そしてブランドとは、そのブランディングの結果、「変わらないこと」と「変わったこと」が共存した総合的なクリエイティブ表現です。
高級自動車ブランド ポルシェは、この「変わらないこと」と「変わったこと」を両立させるブランディングに卓越したブランドの一つです。1963年に発売されて以来、高級スポーツカーの第1線を走り続ける『Porsche 911』は、何度ものモデルチェンジが行われながらも、伝統的な丸みを帯びたデザインに最新の流線形デザインを取り入れることで歴史と新しさを両立したイメージを保ち、そのブランドとしての価値を守り続けながらも革新性で人々を魅了しています。また、ファッションブランド ルイ・ヴィトンも、LとVを重ねたモノグラムデザインを堅持しながらも、カラーリングやデザインに変化を持たせることで、常に伝統的であり先鋭的であるイメージを醸成することに成功しているブランドの一つです。
「変わらないこと」と「変わること」、「伝統」と「最新」、本来は両立し得ない2つの概念が併存する状態、これらが長期的な強さをもったブランドの条件なのかもしれません。
「変わること」と「変わらないこと」の相反する要素を両立させることをブランディングだとするなら、私は、ブランディングを「矛盾化」と一つの日本語で表現したいと思います。そして、その矛盾化をさらに2つに分解するなら、「堅持」と「遷移」です。「堅持」とは、そのブランド資産のうち変えてはいけないことを見定め保持することです。そして「遷移」とは、今あるブランドを起点に新しい要素を取り込み変わっていくための活動です。
(細かい補足ですが、なぜ「変化」でなく「遷移」という言葉を用いたのかというと、従前から大きく異なる状態に変わることを含意する「変化」よりも、今の状態を参照点として次の姿へと移り変わることをイメージさせる「遷移」の方が、ブランディングを考えるには適していると考えたからです。)
両利きの経営とブランディングの類似点
昨今ビジネス界隈では「両利きの経営」というワードが注目を集めました。つまり、企業運営においては、新規ビジネスを生み出すための新しい知識を探求する「知の探索」と、既存ビジネスをより高めていくための知識を探求する「知の深化」の2つの活動が重要であることを提唱した経営組織理論です。ですが、本来的には「探求」と「深化」のバランスが重要だと考えられているはずのところ、国内の論説のいくつかを眺めると、上での議論と同様、新しい知識を吸収していく「探索」の方にやはり目が集まりがちのように感じられます。言い換えれば、変わることのない既存事業の高度化よりも変わっていくための新規事業の創出に関心が集まりがちということです。
マーケティング界隈を見回しても、マーケティングチャネルのデジタル化、AIを活用したマーケティングツールの登場、メタバースといった新たなタッチポイントの誕生などが登場するなど、「変わること」への誘惑がいつものように溢れ続けていますし、”マーケティングDX”の号令のもとで変革することが奨励される雰囲気でもあります。こうした急進的な国内ビジネスの様子を鑑みると、ブランディングに関わる国内マーケターにとっては、今の時代、「変わらないこと」を堅持することに信念やプライドをより強く持つべきなのかもしれません。
かつて隆盛を誇った国内ブランドのいくつかは、当時の最新のマーケティング手法やチャネルを優先した結果、堅持されるべきブランド資産が蔑ろにされ、現在ではかつての神々しいイメージが完全に消え去ったブランドに成り果てていることも珍しくありません。言い換えれば「短期的なキャンペーン戦略」を繰り返した結果、「長期的なブランド構築」に至っていないのが、一部の好例を除く国内ブランドの現状なのかもしれません。もちろん、短期戦略・長期戦略いずれも企業が選択し得る戦略であるため前者を否定するものではありませんが、少なくとも長期的にブランドの資産形成を目指す場合には、「変わること」「遷移」だけを追及するのではなく、「変わらないこと」「堅持」を意識する必要があるはずです。
マーケターに期待される、変わらない信念
私自身、一人のマーケター兼ブランド責任者として、自社のロゴや色(カラー配置や面積比)、ターゲット別のタグライン、チャネル別のキャンペーンコピー、使用フォント等を定めた上で、これらを厳格に維持することを心掛けています。とはいえ、新しい手法やツールを紹介してくる外部企業の誘惑(=売り込み)や、マーケティング施策の変更を迫る上層部の提案に心が揺れないことはありません。
ですが私たちマーケターが、ブランディングを成果へと繋げるためには、新しいものを取り入れる柔軟性を持ちながらも、今の状態から変わらないことへの信念と勇気を持つ必要があるのです。
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【ブランディング関連で執筆したnote】
・ブランディングには、「変わること」と「変わらないこと」がある
・ブランディングと脳、その“怪しい関係”
・ブランディングの絶対神、「有名になること」の先へ
・消費者視点のブランド・デザイン ー 記号としてのブランディング
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【執筆】
和田 崇
株式会社Laboro.AI マーケティングディレクター
経営学修士(マーケティング論・消費者行動論)
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【 経歴 】
立教大学大学院 経営学修士(マーケティング論・消費者行動論)。立教大学大学院 ビジネスデザイン研究科 博士後期課程 中退。
2005年、KDDI株式会社に入社、コンシューマ向け商品・サービスのクロスメディアによるプロモーション施策の立案・企画運営に携わる。
2014年、全国漁業協同組合連合会に入会、水産庁が推進する地域支援プロジェクトの推進メンバーとして従事。
2019年にLaboro.AIに参画。PR・広告宣伝・プロモーション領域をメインに、マーケティング/ブランディング業務を担当。
日経クロストレンド、ニュースイッチなど、寄稿多数。一般社団法人 日本ディープラーニング協会 G検定資格保有。日本マーケティング学会、日本産業経済学会、人工知能学会、情報処理学会、各会員。
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