難攻不落の堅城を攻めてきました
昨週末、行きたくてもなかなか行けない関東屈指の名城に行ってきました。
この城は、かつての小田原(戦国)北条氏の最重要拠点のうちのひとつであり、また現代においても、なかなか本丸に突入することが困難な、難攻不落の堅城としても知られています。
名を、玉縄城(たまなわじょう)といいます。
そして、この城の本丸が難攻不落な理由・・・
そこに女子校があるから(笑)
なので、そもそも校内は立ち入り禁止ですし、周辺を怪しい風体の歴史マニアがスマホ抱えてあちこちパシャパシャやりながら歩いていたら、たぶん、通報案件となってしまいますw
小心者の私もこれまでなかなか行く機会がなく、接近自体を遠慮していたのですが、このたび、古戦場ウォーカー/地形メグリストの新津竜一(通称:サイガ)先生が周辺を歩くツアーを企画されていたので、渡りに舟、と乗っかったわけでございます。
当日、大船駅に集合したメンバー、なんと26名。
高齢男性(私も含む)がメインではありますが、若い人もいましたし、女性も数多く参加されていました。
大船駅といえば・・・観音寺の大船観音。
しかし、実はこの観音寺も、かつては玉縄城の前衛の城として機能しており、おそらく観音様の鎮座されておられるあたりには、かつて観音寺城と連動した防衛拠点、岡本砦の中枢区画だったと思われるそうです。
その大仏を横目に山地に取りつき、トンネルをいくつか越えて城の縄張りに迫っていきます。
途中、見事な藁葺屋根の門を据えた龍寶寺さんの境内に、「玉縄歴史館」があり、周辺地域の見事なダイオラマと、貴重な収蔵品を展示してますので、北条ファンは必見。
さて、こまごまとした踏査の詳細は、端折りましょう。
ここ、どなたでも行けます(笑)。中世の山城は、一般人が不用意に近づくと危険な場所なども多いので絶対に気をつけたほうがいいのですが、まあ、見事なまでに宅地化され、瀟洒な住宅街になっております(笑)。
なんでも、まだ昭和30年代は手付かずで、城の本丸をはじめ主要区画のほとんどはそのままの形で残されていたのですが、本丸に清泉女学院が建設されたのを皮切りに、こういう形になったとのこと。
しかしそれでも、各所に巨大城郭の痕はくっきりと残されており、非常に歩きがいがあります。
サイガ先生は、私の尊敬する城郭探訪のレジェンドです。
実際にこれまで数多くの城郭を歩いておられるだけでなく、その城郭や史跡の持つ意味や位置付けについて深い考察をめぐらし、きちんとした仮説を提示してくださいます。
北条氏の領域拡大により、敵対勢力と対峙する最前線のずっとずっと後背地になった後も、この玉縄城の存在感が少しも落ちないのはなぜか、個人的にとても不思議でした。
が、そもそも造られた理由が、軍事の要衝というよりも、小田原北条政権におけるいわば物流の心臓ともいうべき鎌倉古街道ルートの確保だと考えれば、いろいろなことが、とても腑に落ちてきます。
こうした、目に見えぬことまでもが学べる、素晴らしいフィールドワークでした。
サイガ先生は療養のためしばらくお休みされますが、おそらく来年の半ばくらいから、東京・高円寺の「喫茶かふぇ ちゃらぽこ」における定期歴史会などで、またさまざまな活動をされると思います。
私もできるだけ顔を出そうと思っています!