『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (108)木曽からの便り
年が明けて大正2年になりました。山田さんの書簡集にはこの年の手紙が2通だけ収録されています。1通は1月28日付で、差し出された場所は信州長野県。宛先は東京の岩波茂雄です。
山田さんの手紙
第182書簡
大正2年1月28日
木曽より東京へ
岩波茂雄へ
《昨日は君の御茶代の御蔭で君を送つて帰つてからは三階の客間に通されて大もて。青貝おいた茶箪笥が(?)かざつてあつた。
今日は塩尻をこえて洗馬を経、元山(ママ)に入る。なる丈け暗くともしたランプのもとに爐(いろり)にわらじをつつ込みながら氷れる雪をとかすうら悲しい古いのんきな心持をはじめて味はう。村酒一瓶に好い心地に酔うつた。よろしく。》
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1,091字
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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