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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (105) 掲載決定の通知を受ける
年が明けて大正2年になり、漱石先生は2月26日付で東京朝日新聞社の山本松之助に宛てて手紙を書きました。東京朝日新聞社の所在地は京橋区瀧山町四番地。現在の銀座6丁目です。
《拝啓其後は失礼申上候偖小生小説「帰つてから」と申す分済次第あとのを掲載せねばならず候。然るに先般小生方へ二つの作を見てくれと頼み来候いづれも面白く無名の文士を紹介する積にて明日に掲載しても毫も恥かしき事無之しかも其うちの一篇は文学士中勘助と申す男の作りしものにて彼の八九歳頃の追(ママ)立記と申すやうなものにて珍らしさと品格の具はりたる文章と夫から純粋な書き振とにて優に朝日で紹介してやる価値ありと信じ候。尤も絵入小説の如く変化や進行はあまり無之其辺は御承知の上にて小生の後には何うか此中勘助君を御掲載願度電話でと思ひしもあまり長く相成候につき手紙にて申上候過日名倉君に面会の節も其話は致し置候右御相談の上何とか御都合相願度(電話にてよろしく)小生も出ると極まればもう一遍本人に帰して推敲やら書直しやら致させ度候故一寸右伺ひ候余は拝眉萬々》
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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