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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (109) 山田さんの死と岩波書店の開業
岩波書店の開業は大正2年8月5日で、開業資金は郷里の先祖代々の田畑を売却して調達しました。売却が行われた時期がはっきりわからないのですが、古書店を開く考えになったきっかけは2月20日の神田の大火でしたので、田畑売却はそののちのことであろうという推定が可能です。ではありますが、古書店開業に適する貸店舗が見つかったからというので急いで資金調達を考えるというのも性急にすぎるようでもあります。女学校を辞めて商人になろうと決意したのは割と早く、菓子屋になろうとか、食堂を経営しようとか、迷いがありました。新宿の中村屋を創業した同郷の先輩相馬愛蔵を訪ねて相談したこともありました。商売のひとつとして古書店もあり、神田の大火がきっかけになって古書店開業に踏み切ったのはまちがいありませんが、それよりもだいぶ早い時期にすでに商売を始めようとする心情に傾いていたと思われます。こんなふうに考えていくと、田畑売却の手続きを進めるために1月末に帰郷したのであろうという可能性は十分にありそうです。岩波はこの計画を山田さんに伝え、信州に招待したのかもしれません。
この時期のあれこれについて、岩波ヨシさんの回想があります。
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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