信じることの難しさと、大切さについて
「信じているよ」と言うのは簡単だ。
心から誰かのことを信じるのは難しい。
その信じる心を行動で表すのはもっと難しい。
信じる心を持ち続けるのは、もうとびきりに難しい。
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このnoteは、ひらやまさんのnote「話し合うとき、大切にしたい5つの姿勢」の感想note。
話し合いの中で大切な、信じる姿勢
ひらやまさんは、話し合う時に大切にしたい姿勢として、下記の5つを挙げている。
1. 「答えはある」と信じる
2. 自分たちの言葉で語る
3. もやもやを大切にする
4. 議論するメンバーを信じる
5. 意思決定を信じる
5つのうち3つには、直接「信じる」という言葉が登場するし、それ以外の2つも「信じる」要素があると思う。
自分たちは自分たちの言葉で語れると信じる。いまの自分たちの想いを形にすることが必要だと信じる。
もやもやしている時は、その感覚を信じる。表現できないものを表現する一歩手前まで来れていると信じる。
そんな感覚。
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noteの最後でも、ひらやまさんは「信じる」ということについて書いている。
そうした一つ一つをどれだけ信じることができるか。
信じたものを信じ切れるか。
明確な答えが示されていない今の世の中にこそ、自分から信じる力が大切だと思う。
話し合いをおこなう時、ハッキリとした100点満点の答えがあることは少ない。大抵の場合、答えのない問題だったり、そもそも採点不能な内容だったりする。くっきりとゴールのラインが引かれているわけでもない。
だからこそ、お互いがお互いを、言葉を、決定を、信じる強さが必要になる。
信じて語り合い、信じて動き出す力が必要になる。
わたしにとっての「信じる」という言葉
信じるって、なんなんだろう。
尊重するとか、敬うとか、大切にするとか、似た意味合いの言葉はたくさんあるけれど、どれとも違う。
「信じる」という言葉でしか表現できない感情がある気がする。
それでもあえて言い換えるなら、信じるとは、手放すことだと思う。
委ねるとか、任せるとか、そんな語感。
もちろん、話し合いでも人生でもすべてを人に任せるわけにはいかないけれど、自分だけで補いきれるほど簡単なものじゃないだろう。
だから、手放す。相手に、時間に、運命に、委ねる。
わたしが誰かに伝える「信じてるよ」の言葉は、「良い結果が出ると信じているよ」ではなく、「どんな結果になっても、あなたのことは信じ続けるよ」みたいな意味合い。
でもきっと「信じる」という言葉のイメージはそれぞれ違うから、意図した意味合いで受け取ってもらえるように、これからも考えていかないとなぁ。
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takaren advent note 50日目
cotree advent note の感想をひとつずつ書いていくの、楽しい。