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オウンドメディアが「メディア」を放棄すべき理由

「仮説の手前」もこれで80本目です。
答えのない仕事をやっているが故、こうして書き続けることで、常に自分の向かっている方角の「指差し確認」をしているようなところがあって、それはそれで功を奏しているような気がします。

とは言え、きっとどんな仕事であっても、この「指差し確認」は必要で、僕の場合は「書く」ことでしたが、話すことでも、図示することでもいいとは思います。とにかく整理し続けることなんだと思います。草をかきわけ進んだなら、次に通る「誰か」が通りやすくなるために、もう一度その道に戻って踏みならすような、そういうことが必要なんだと思います。

そんなことをしていたら、本を書くことにもなりましたし、今は今で、まさに「次」同じ道を通る人のために、再度「道の舗装」をしているところです。

この「舗装」をどこまでやるか、というのが最近の悩みでして、それこそコンクリートのきれいな道にするのか、砂利道程度にするのか、改めて草をかき分けないと通れないくらいにするのか…。仕事によってその度合いは変わるのでしょうけど、とかく「クリエイティビティ」の領域においては、舗装し過ぎるのも良くないんだろうということは肌感として持っています。というより、舗装しきれない。現実的に。

次に誰かが通る時はまた景色が変わっていたり、通る道の土の具合も変わっている、ということが当然ながらあるわけで、そのあたりを加味していかなくてはいけないという難しさに直面しています。

それはそれとして、この「道の舗装」についても、どこかで公開できればと思っています。

さて、前置きが長くなりましたが今日の本題です。

こんな風に曲がりなりにも、5年以上も(コーポレート発信を起点においた)オウンドメディアをやっていると、「コンテンツの再利用」の機会が増えてくるようになりました。

数年前に記事にしたものが、このタイミングで改めてXやその他発信ツール上でピックアップする、というようなことが立て続けに起きています。この「仮説の手前」でも、著書の中でも、オウンドメディアの価値は「タテ(資産性)」で見るべき、と書いていましたが、最近はよりその傾向が強くなってきているように感じます。

毎年期間限定の商品(シーズナル)の発表の際に活用することもあれば(コスト削減ができる利便性)、過去「未来の可能性」として取材したものが、今になって盛り上がってきて(何かしら賞をとったり)再度ピックアップすることで脚光を浴びるというのもある(再発見させることができる)。そして時代の変遷とともに揺らぐ指針や価値観を、改めて振り返る「拠り所」にする(インターナル利用)というあたりです。

ピックアップされる、ということは、自部署以外で「必要とされる」ということです。つまりは再利用の度にオウンドメディアの価値の再確認を(少なくとも社内では)していることになるわけです。この再確認こそがオウンドメディアをヘルシーに続けさせる拠り所になります。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

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