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“意志”がないなら発信してはいけない理由とその解決策

「何を発信すればいいのか?」という悩みを、オウンドメディア担当者から本当によく聞きます。また、法人・個人関わらず「なぜ発信しなくてはいけないのか?」という問いまで立ち上がるようになってきました。

発信シンドローム」と言えば大袈裟ですが、誰もが発信できる今の時代においては、まるで強迫観念のように襲いかかってくる問題になってきているように感じます。

個人的な考えを先に述べるのであれば、発信する必要性を感じていないのであればわざわざ発信する必要はないと思っています。「誰かに届ける」ことを前提にした発信には、「どうしても伝えなければならない」と言えるほどのっぴきならないほどの必要性を発信側が持っている状態が必要なんだと、5年以上オウンドメデイアを運営してみた身として感じています。

とかくオウンドメディア界隈でみれば「横の企業もやっている」ことが見えてしまいますので、どうしても何かしらの発信を「やるべき」という結論が先に立ってしまいがちなのですが、前述したようにのっぴきならないほど伝えたいという熱源がない中で始めると、大抵続かずにクローズするというオチがついてまわります。

その理由はシンプルで、「伝えたい」よりも「伝わる」ことを目的として手前に置いてしまうと、必然的に「どのくらい伝わったか?」に興味が向いてしまい、内容よりも反響(数字)を気(KPI)にしてしまうからです。

なぜこれがNGなのか。少し文字数を割いて説明します。

いわゆる反響については、当然ながら上を見ればキリがないわけですし、反響を大きくし続けること(いわゆる「グロース」させよ)を前提にメディア戦略を作らないといけない状況に陥ることになるわけです。そして結果的にコンテンツがどんどん“大味”になる、という流れに帰結していきます。

なぜ大味になるかと言えば、コンテンツの受け手側で見れば、おおざっはに言えば「面白い」(暇つぶしになるか)か「必要に迫られて」のふたつの方向くらいしか「多くの人」にとってコンテンツを見る動機にはならないからです。そのふたつの方向性をなぞろうとすると、いわゆるどこかで「バズったコンテンツ」を真似し始めるということが起きます。

前者の「面白い」はエンタメ(と高度なレコメンドメディア化したSNS。ゴシップもここに含まれます)が占め、後者は従来からのニュースメディアなどの情報が占めているため、基本的に「企業の内側の声からコンテンツを生み出すオウンドメディア」において、「面白い」と「必要に迫られた」ものと並んで興味を引き続けるというのは、土台無理なわけです。

それでも「反響(数字)」のみを追求していくと、だんだんと“自制心”が削がれていきます(これは本当なんですね。数字という呪いにかかると、多くの人を傷つけてしまうかも、という視点が抜け落ちていくんです)。そして最悪の場合炎上が待ち受けています。

炎上されることは稀ですが、それ以上に多いのは、バズを狙ったコンテンツが見向きもされないことでしょう。その場合の方が深刻で、それは閑散として寂れた空気をまといます。その寒々しい空気も、炎上と同じかそれ以上にブランド毀損につながってしまいます。

そして言わずもがなですが、一時の空気のみを狙ったコンテンツは賞味期限が非常に短いんです。マーケティングプランの中で、リーチの最大化を狙う意味であれば効果的ですが、「つづける」ことを前提としたオウンドメディアにおいては、それは完全な悪手なわけです。

よく聞く話かと思います。なぜ改めて強い口調で伝えているのは、冒頭の「発信シンドローム」が本当に蔓延していると感じるからです。「とりあえず発信してみましょう」と答えることも簡単なのですが、往々にして前述した末路が待っているが故、結果的に「企業が発信することそのものが意味がない」という空気につながってしまう可能性があるからです。

発信に意味がないのではなく、「“意志”のない発信に意味がない」だけなんです。ここがズレたまま、空気として「企業発信やめよう」という気運になることだけでは避けたいわけです(反面とてもいい発信を続けている企業さんも増えてきたので、そこへの悪影響を避けたいわけです)。

ここでいう“意志”というのは、内側の声をつぶさに聴きながら「なんでこんなに面白いことが伝わっていないんだろう?(もったいない)」「この取り組みは伝える社会的意義がある」「この情報があるだけでお客様の暮らしがよりいいものになるはずだ」といった明確な動機のことで、結局のところこの“意志”があることが、ヘルシーなオウンドメディア運営のスタート地点になるとわかっているからです。発信側も伝えることに対して「必要に迫られる」必要があるというわけですね。

まぁこのようなニュアンスのことは、「仮説の手前」でもよく言っていることなのですが、最近より感じるのは、前述した「内側の声」を見つけることと、その声を面白いということに気づくこと自体の難易度がそもそも高いのでは?ということです。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

仮説の手前

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