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そのオウンドメディア担当者に「問い」はあるか

2年前にこんなnoteを書きました。

ひとつには言葉に「身体性」が帯びているということなのだと思います。そしてもうひとつには、そういう人たちの言葉には、「問い」が厳然としてあり続けているということです。

ビジネスでもプロダクトでも「始めた人」の言葉には何か引き寄せるものがあって、そこに「問い」があるからではないか、という仮説を立てていました。

それから2年経っていますが、相変わらず読まれる記事は、取材対象者に「問い」があるという傾向は残っています。

それはそれとして、オウンドメディア担当者に立場を翻らせてみると、担当者に必要なのは「問う」スキルだと思っています。前述した「問い」は、自身の中における「解釈」とも捉えられますが、ここで言う「問い」は相手あっての問い、つまりコミュニケーション上におけるものが中心になります。

理由としてはシンプルで、オウンドメディアのひとつの役割として、既にアウトプットされているものから距離を置き、視点をズラして新しい気付き・新しい接点を作ることにあるからです。そのためには、オウンドメディア担当者自身が「問い」、コミュニケーションを経て「新しい視点」を生み出す必要があるわけで、もはやベースのスキルとも言えます。

なぜ改めてここでその点を言及しているかと言えば、ここ最近いろんなところでオウンドメディアの担当者と話したり、自身の身の振り(立場を引き継いていく動き)で、人と話す機会が増え、実際に一緒に企画を考える中で、この「問う」スキルが不足していることに気づいてきたからです。

ついでに言えば、「今」のビジネスパーソンにとっては、この「問う」こと自体が難しい(スキルとして根付きづらい)ということもわかってきました。

少し「問い」を紐解いてみます。

まず自身が「何に興味があるのか?」という自己理解が必要になってきます。その上で「なぜそれを自身が問うのか?」という自己表明・自己開示が必要です。「問い」には当然応える相手が存在するからです。そのコンテクストを相手に伝えられることが第1ステップになります。

自身の内側の理解ができ、相手にそれを「伝えられる」ことができたとして、それだけでは足りません。同時に必要なのは、それが「問いとして成立するか(答えてもらえそうか?)」という視点です。つまり、問いを投げかける相手への理解・興味も当然ながら必要になってきます。

自己開示をしうるだけの内奥の理解(これもひとつの自分自身への「問い」になります)があって、相手への理解・興味のストックがあることで、「問い」は「対話」になってきます。その「対話」の先に、そこでしか得ることのできないコンテンツが待っているわけです。

世の中のメディアの編集者であれば、いちいちこうして言語化するまでもなく、このスキルを持ち合わせています。むしろ業のように染み付いている人が編集者のような立ち位置になっている、とも言えるかもしれません。

オウンドメディアであれ、そこは変わりがありません。いわゆる編集者のベーススキルである「問い」がなければ、メディア・コンテンツを作るスタートラインにすら立てないというわけです。

で、 なぜオウンドメディア担当者にこの「問い」が難しいかと言えば、それは担当者が「答える」こと(のみ)を教育されてきたビジネスパーソンだからです。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

仮説の手前

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