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オウンドメディアは「縁側」を目指す
メディア界隈の大ベテランにお話を聞く機会に恵まれました。
そこでオウンドメディアについてお考えを聞き、改めて昨年末に立ち上げた「コンソーシアム」の方向性は間違ってないと確信に近い実感を持つことができました(詳細は語れないのですが、何かしらの形で公開はされる予定です)。
そこで出てきた話に、オウンドメディアの「立ち位置」の話がありました。端的に言うと「オウンドメディア=自社都合の発信」ではつまらないものになるから、どこから「企業を見るか」が大事ということです。もっとわかりやすく言えば「外の視点」を担保できるか、ということになります。
ブランド・ジャーナリズムという言葉があります。
ブランド(=企業)自らが取材をし、編集した記事やストーリーを自らのウェブサイトやソーシャルメディアなどを通じて、直接生活者に発信していくことで、ブランドがジャーナリスティックな視点と手法で情報を拡散することを意味する。
拙著でも小さく語ってはいますが、「ジャーナリズム」という言葉はとかく「批評性」が強く響きます。それを追求し発信し続けるには、メディアそのものの「独立性」を担保する必要があることと、メディア運営に「専門性」も求められることから、なかなか定着しなかったように思います(要はそれを実現するにはトップの覚悟に近いビジョンが必要で、運営担当者に多分にセンスが求められる)。そもそも、その「ジャーナリズム性」が必要なのか?という問いに立ち戻れば、その答えはすぐにわかるはずもなく、短期に成果を求められるビジネスにおいては、継続が難しいということでしょう。
「ジャーナリズム」という言葉は使わずとも、これまでずっと「社会と社内の間」に足場を置くことを提唱してきました。それは多分に「社内都合」の発信に偏ったオウンドメディアでは、読者との距離は埋まらないからです。たた、5年近く社内外のオウンドメディアを見てきて感じるのは、オウンドメディアに対する社内のニーズが増えるほど、徐々に足場は社内に寄ってきてしまうということです。
結果的に発信はプロパガンダ化し読者を徐々に遠ざけると言う末路が待っています(社内の読者は増えるかもですが)。コーポレート寄りの企業の視座を伝えるオウンドメディアが増えている今、改めて「足場」の大切さを感じます。
この足場のことをもっとわかりやすい言葉で捉えようとすると、「辺境」「縁側」という言葉になるのかと思います。
オフィシャルな情報(家)ではなく、「外との境界」に足場を置くことで(それはメディアのスタンスとしても担当者の視座としても)、「引っかかり」を持たせることができる、ということです。
その引っかかりのひとつが直近の潮流で言えば「ソーシャルイシュー」なのだと思います。会社の公式的な発信では綺麗になりすぎてしまい、いまいち届きづらいものが、縁側のような場所としてオウンドメディアを捉え直すことで、同じような視座でいる企業や専門家も立ち寄っては声をかけあえるような場所ができる。生活者においてもちょっと足を踏み入れたい場所になるのではないか。という仮説です。
ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。