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本来持つべきメディアの“性格”をオウンドメディアはどう付与すべきか

敬愛する方から、突如「君を構成する3つの軸を教えて」と問いかけられました。

その方は、私が今の会社に入社してほどなくして、とあるメディアの特集のため(世界的にとある分野で有名な方で、その方を語り部にした連載でした)、約1年間ほど並走する形で執筆・編集のお手伝いをさせていただいた方。取材を通じて、仕事に対するビジョンやこだわりに触れる度に、これほどまでに真っ直ぐに愚直に仕事に向きあい続けている方がいるということに感銘を受けるばかりか、その方の声をもらったことで、今のオウンドメディアの原型ができたと言っても過言ではないほどに、私にとっては恩人のような方なわけです。

そんな方との飲みの席で、ほろ酔いの体でチャーミングに冒頭の質問を投げかけられました。

しばらく悩んだ挙句、そこで答えたことはちょっと文字にするのも躊躇うくらいネガティブなものでした。3つはもう憶えてないのですが、嫉妬や天邪鬼といった大層後ろ向きな言葉が並びました。今冷静に振り返ると、まぁたしかに私の特徴ではあるのですが、なぜあのような場面でこの言葉が出てきたのか、少し疑問です。

敬愛する方を目の前にして、自分の至らなさを恥じたのかもしれませんし、何かのポーズだったのかもしれません。はたまた彼の懐の深さに乗じて少し弱い部分が出てしまったのかもしれません。いずれにせよ、違う人から同じ問いを出されたら違う答えを出していただろうな、と思える機会でした。

また、別の日には、今年入社した方と飲みの席でご一緒する機会がありました。仕事では直接関わることはない方でしたが、たまたま飲みの席でご一緒する形になり、色々と話を聞くうちに、仕事の悩みを打ち明けられました。そこで話したこともあまり憶えてないのですが(大丈夫か)、翌日には、その方から仔細に私のアドバイスが列記されたお礼のメールをいただきました。そこには、前述した「嫉妬」まみれの私からは想像ができないほど、ポジティブで爽快な(ように見える)アドバイスが書かれていました(ちょっと恥ずかしいほどに)。

このふたつのエピソードが示すものは、「相手もしくはシーンによって言葉は変わる」ということです。当たり前と言えば当たり前なのですが、改めてそのことに身をもって気付かされたわけです。それはつまり「そこで期待される自分」「そこにフィットする自分」を自身で感じとりながら、言葉を選ぶ、つまりは演じている、ということなのかと思います。

そしてこの「演じ分け」はそのままメディアにも当てはまることに行きつきました。

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確たる根拠はないけれど「そうかもしれない」と思うことは、日々の生活や仕事の中で結構あると思うんです。普段は通り過ぎてしまうそういう感覚が後々顔を出してはヒントを与えてくれることも。正解やノウハウばかりが並ぶSNSでは発言することに気が引けてしまう「なんとなく」を月に2回を目処に書き残していきます。読んだ方々にとって、日常の「小さな兆し」に気づくきっかけになれれば。

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