仮説の手前 10
新しいコンテンツ・新しいメディアのリリースが目白押しです。お盆を前に完全にバテ始めていますが、ここ最近目の当たりにした「意外に読まれるコンテンツ」についての仮説と、「クリエイターさんとの関係」について思うことがあったのでまとめます。
コミュニケーション量=文章の強度
「読まれるコンテンツ」の、切り口やテーマやタイトル・写真などテクニック的な観点はその辺にたくさん転がっているのですが、困ったことにオウンドメディアをインターナルでコミットしながらやると、テクニックだけで走ることはほとんど不可能なんですよね。
なぜなら社内からオーダーを受ければ、どうやってもテクニックを駆使できないものはたくさんあるからで(要はどう転んでも多くの人に刺さらないネタというのはある)、そうであれば違う価値はどんなところにあるのだろう?といったことを考えながら、メディアとしての価値と「オウンド」としての価値のバランスを取っていったりするわけです。
(この辺りを度外視して(もしくは知らずに)、「読まれるコンテンツとは」「コンテンツは読まれなくては!」などと声高に語る人を見ると、あぁなるほどね、と思ったりします)
それでも、予想と反して、多くの人の共感を獲得できるものがあるし、反面この切り口とこのテーマなら読まれるはずだと、自信をもって出したものが空振りすることもあります。単純に僕の能力不足であることは一旦脇においておくとして、ここ最近出した「読まれないかも」と思ったコンテンツが読まれているのを目の当たりにして、ひとつ思い当たることがありました。
それは取材対象者、つまり話し手からの「修正内容」にあります。
ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。