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【読書メモ】プラグマティズムとアナキズム:『鶴見俊輔の言葉と倫理:想像力、大衆文化、プラグマティズム』(谷川嘉浩著)

学部時代、恩師の一人である花田光世先生の授業よりも小熊英二先生の授業が好きだった、という話は何度か書いたことがあります。小熊先生の授業を熱心に受け、そこで紹介される書籍や小熊先生自身の超分厚い書籍を読んできたので、鶴見俊輔の名前は知っていましたが鶴見=ベ平連という大括りの印象でした。谷川嘉浩さんが鶴見をテーマにして、そこにプラグマティズムを絡めて解説してくれている本書は興味深い内容であり、鶴見の思想と言動の一端をなんとなく理解できました。今回は第四章「鶴見俊輔は、どのようにプラグマティズムとアナキズムを統合したか」で面白いと感じた部分について書きます。

プラグマティズム

著者はジョン・デューイを研究されてこられた方です。その学位論文を改稿して書かれた名著『信仰と想像力の哲学 ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』については以前のnoteでも取り上げました。

その著者がプラグマティズムを大まかに述べている箇所が第四章にはあります。少々長いのですが引用すると以下の通りです。

 プラグマティズムは、アメリカの一九世紀後半に立ち上がり、チャールズ・サンダース・パース、オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア、ウィリアム・ジェイムズ、ジョン・デューイ、ジョージ・ハーバート・ミードらを中心として展開されていった思想だとされる。とはいえ、これだけでは話が済まない。プラグマティストたちは、大まかな特徴を共有しながらも、各人の思想は十人十色であり、さらに、プラクティストとされる思想家一人一人を取り上げても、どの時期の文章を扱うのか、どのような分野を扱った文章を扱うのかによって、彼らの思想の内実は変わってくるからだ。つまり、唯一のプラグマティズムはなく、実情は、様々なプラグマティズムがあるということに他ならない。

p.234

ここで挙げられているプラグマティストのうち、パース、ジェイムズ、デューイ、ミードは読んだことがあるのですが、たしかに素人である私が読んでも違いはあります。それらを包含するプラグマティズムという概念の外形を理解するとともに、違いについても自覚することはプラグマティズムという概念を扱う上で重要なのでしょう。

プラグマティズムの受容

では鶴見のベ平連をはじめとした活動とプラグマティズムの関係はどのようなものだったのでしょうか。

何かを実験・検証するというとき、鶴見の焦点は、「立証(verification)」(正しいと示すこと)ではなく「反証(falsification)」(間違っていると示すこと)にあった。プラグマティズムの格率は、可謬主義(=反証の蓄積)をサポートするものとして提示されていたのである。

p.240

可謬主義には静的ではなく動的なものです。こうした持続的でダイナミックなプロセスを説明するアプローチとしてプラグマティズムを捉えていたということなのでしょうか。

共感/同情と再編集

認識や言動のあり方といった他者や事象へのアプローチだけではなく、相互作用のプロセスとして自分自身の変容までが鶴見の思想では焦点が当たっていたようです。

色々な観察や知識を積み上げながら自分の組成を再編集することで、他者から見える世界を一人称的に想像していくことができる。ここで重要なのは、自分ではなく他者の合理性に沿って他者の言動を理解していくプロセスで、私たちが自分自身を編み直していることだ。このような意味で、バーリン=鶴見の哲学的方法ーー「同情」ないし「共感」ーーは、自己変革につながっている。

p.247

共感や同情といった他者への連帯やアプローチは、自分自身を再編集するという自己変革のプロセスへと繋がるとしています。こうしてプラグマティズムとアナキズムは自己変革において結びついている、というのが著者の鶴見の思想に対する理解のようで納得的に思えます。

あとがき

鶴見俊輔は見田宗介に影響を与え、見田宗介に師事していたのが小熊英二先生です。おそらく、私が鶴見に関する解説を理解する上で、ハタチ前後で受けた小熊先生の授業の影響は拭えないでしょう。良い悪いではなく、それがベースにあるということであり、換言すれば本書をある程度読めた背景にもこうした学生時代の経験があると言えますし、私が偏った読み方をしている可能性があるとも言えます。

もう一点、花田先生と小熊先生の授業の対比について念のために補足します。小熊先生は東大の落研出身だからか、講談師風の授業スタイルを取り、大人数クラスでもその面白さは健在でした。他方で、花田先生には独特のペースと話法があり、学生に「わかってもらおう」という意識がまるっきり見えません。ゼミで20名程度の学生とフリースタイルで対話することが真骨頂に見受けられましたので、私は決して恩師をディスっているわけではないことを最後に述べておきます(笑)。

最後まで目を通していただき、ありがとうございました!


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