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【読書メモ】対立と統一のダイナミズムに迫る第九章:『実在とは何か 西田幾多郎『善の研究』講義』(大熊玄著)

西田は二つの章をセットとして記述するのが好きなようで、自然をテーマとしていた第八章に続く第九章では精神をテーマとしています。唯心論でもなく、唯物論でもなく、実在について語ろうとする上で、バランスを考えながら自説を述べようとしてこのような構成になっているのでしょう。とはいえ、第九章は唯心論と誤解されそうな内容になっていると著者は解説しており、なかなか読み応えのある章です。

統一と対立

第九章では、精神とは統一作用であるということが述べられています。これを手を替え品を替えして西田は説明しています。この統一作用には、対立というエネルギーが大事であると著者は以下のように解説しています。

統一作用には対立が必要なのですが、その最も根本的な対立(衝突)が、その全体を分析して生じる「統一するもの(主)/統一する作用(力)/統一されるもの(客)たち」への分裂です。
284頁

統一と対立とは永続するプロセスといえます。第五章以降でよく出てくる「一即多、多即一」と同様に、実在のダイナミズムを表しています。

統一作用の深化

こうして、統一作用は深化し続けることになります。ある時点で対立が解消して統一されたとしても、その統一された内側には多様性が生じ、それぞれが対立し始めて統一に向けた流れが生まれるというような循環が生じます。

その内にさまざまな含みを持った無意識の行為だからこそ、いったん統一されても、その中にはさらにまた衝突の生じる可能性が秘められている。さらに深く進もうとすれば、また新たな衝突を起こし、そこでまた以前とは異なった意識的な行為となって、さらなる統一へと向かうことができる。意識(精神)とは、いつもこのような衝突から生ずるのだ、というわけです。
292-293頁

実在と宇宙

永続する統一作用は、時間軸において伸びるだけではありません。自己や自分自身の周囲といった領域から、宇宙全体といった空間軸においても伸びていくダイナミズムがあると著者は解説しています。

「実在を支配する」ではなく「実在が支配する」、さらに言えば「実在が統一していく」というこの作用は、終わることなく無限に深化していくので、この「統一するもの」としての「自己」も、無限ということになります。さらには、この自己は、このように無限に統一していくものだからこそ、無限の宇宙をも包容する(統一する)と感じることができる、というわけです。
306-307頁

第九章での話は、これまでの西田の話を精神という観点から編み直したものであり、前の章での自然との対比で論じられたという感じです。以前の章でも述べた通り、西田が私たちに語りかけてくれる講義を文字起こししたという『善の研究』の特徴が出ている典型的な章と言えます。


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