見出し画像

【読書メモ】『NHK100分de名著 ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』 2024年 2月』(朱喜哲著)

リチャード・ローティはプラグマティズムの系譜にある哲学者だそうです。トランプが大統領選に当選した2016年に、郊外に住むことができない非熟練労働者たちは「強い男」を求めるだろう、という1998年に出版した書籍でのローティの予言が当たったとしてツイッターでバズりました。ローティ自身は2007年に亡くなっているため大統領としてのトランプを知ることはなかったのですが、「強い男」という絶妙な言葉からトランプ的存在の誕生を予見したと評されています。ではこのローティという人物はどのような考え方の持ち主だったのでしょうか。

ローティの思想の意義

ローティの思想を一言で言うなら、「哲学とは『人類の会話』が途絶えることのないよう守るための学問である」というものになります。

p.11

著者によるこうした端的な要約はありがたいものです。具合の悪い情報を「fake newsだ!」としてそれ以上の質問を受け付けない、あるいは「はい、論破!」と言って思考を深める探究を止めるといった言動が人口に膾炙するようになりました。こうした時代の訪れをローティは予見したとともに、哲学は人々の会話が存在し続けるためにあるのだとして自身の思索を深めた哲学者だったようです。

変化と偶然性

ローティの思想の特徴として何が挙げられるのでしょうか。著者の解説を紐解いていくと、偶然性が鍵概念の一つであり、その背景には絶えざる変化というものがあるようです。

『哲学と自然の鏡』を通してローティが提唱したのは「歴史主義」です。歴史主義とは、世界には永遠不変の真理や究極の本質などというものはなく、それはそのときどきのことばによってつくられる(歴史のなかで変わりうる)ものだとする主張です。歴史のなかで変わりうるということは、それは普遍の真理によって基礎づけられた「必然」ではないということです。ここに、『偶然性・アイロニー・連帯』のテーマのひとつである「偶然性」というコンセプトが浮上してきます。

p.27-28

従来の哲学は真理の探究を目指していましたが、ローティはそのような哲学のあり方を否定しました。その背景には、真理の不変性が存在しないことがあり、そうであるからこそ探究を続ける姿勢こそが大事であるというスタンスをローティは提示することに至ったと著者は解説しています。

真理といった深い(?)レベルの話もそうですが、現代は、表層的な意味での環境の変化も激しいと言い古されている時代です。変化し続ける「今」を言語によって他者と偶然的に共有するという捉え方は納得感があるのではないでしょうか。

リベラル・アイロニスト

偶然性を基に真理の探究という伝統的な哲学観を否定したローティは、「公共的な社会正義と私的な利害関心の対立」(p.43)をどのように解消するかについても取り組みました。

 結論を先取りすると、彼は『偶然性・アイロニー・連帯』を執筆するまでに、「公」と「私」は統合する必要がない、むしろそうすべきではない、という結論に至っていました。その考えをはっきりと世に打ち出したのが『偶然性・アイロニー・連帯』でした。

p.43

両者を統合しようとするから対立するのであるというわけですね。さらに言えば、統合できるという思想には伝統的な哲学観が「人間には公と私が合致するところの「共通の本性」があるという認識」(p.43)を持っていたから無理に統合しようとしてきた、と喝破しています。

両者は一人の人間の中に別々に存在するとして、ローティはリベラル・アイロニストという考え方を提示しています。つまり、公共的なリベラリストと私的なアイロニストという二つの側面が人には同時に存在している、というもので私たち個人が複雑でダイナミックであることを示していると考えられるのではないでしょうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?