【論文レビュー】100年以上前にデューイが語っていたこと。:Dewey(1896)
サビカス先生がキャリア・アダプタビリティを提唱した論文には、ジョン・デューイを引用して機能主義(functionalism)に触れている箇所があります。そろそろ原典に当たらないといけないかなと観念して読むことにしました。19世紀に書かれた英語の論文を読むのは初めてです。時代のせいか、学問領域のせいなのか、単に私の語学力の問題なのかわかりませんが、使われている単語がとっつきづらく、冗長に感じます(デューイさん、ごめんなさい)。他のデューイの和訳本を読んでもわかりづらいので(ほんとゴメンナサイ)、全てを理解するのは諦めて、機能主義に関する部分のみに特化してまとめてみます。
刺激=経験ではない!
刺激(stimulus)と反応(response)は、学部で心理学の基礎を学ぶといやというほど出てくる言葉です。パブロフの犬でおなじみの古典的条件付けは刺激→反応の関係を表すもの、という感じで学んだのではないでしょうか。
デューイは、反応に影響を与える刺激にはさらに先行するものがあり、全体の状況によって刺激がもたらす反応は異なる、としています。本論文の中ではたいへん珍しく(?)、シンプルで分かりやすい英語で書かれた例示に基づく解説を引用します。
感知することと運動することは共同するものであり、刺激に先行するものはこうした全体性であるとしています。こうした全体性こそが機能であり機能に焦点を当てよ!というのが本論文の主張であり、機能主義の考え方です。
要素還元主義へのアンチとしての機能主義
刺激や反応といったものを個々別々に観察してもそこに意味を見出すことはできないとデューイは主張しているようです。そこで、要素還元主義的に物事を観察するというアプローチではなく、システム論的に全体の中において物事をとらえるという機能主義を提示しています。
経験学習をとらえる際の留意点
ここからは邪推です。デューイを現代のビジネスシーンで目にする際には経験学習の領域が多いのではないでしょうか。デューイにとっての経験とは、システム論的な全体における経験であり、システムという環境と個人の能動性との相互作用の中で見出すべきものであることに留意が必要です。
つまり、ある特定の学習を促すことができる「客観的な経験」なるものを要素還元的に導き出すことはできない、ということです。控えめに言えば、デューイの経験学習を基に要素還元主義的なアプローチを取る深刻なパラダイムの混同に気をつけるべきではないでしょうか。