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【読書メモ】(4-1)『豊饒の海』の全体像を掴める鋭い考察に感動!:『三島由紀夫論』(平野啓一郎著)

『豊饒の海』は『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全四巻から成る三島の最後の長編小説です。各巻の主人公が輪廻転生していく物語で展開されています。三島作品の構造的理解を促してくれる平野啓一郎さんの解説が素晴らしいです。第四章「『豊饒の海』論」の1-17節を中心にまとめてみます。

三島作品の世界観

『豊饒の海』論の冒頭で、平野さんは三島の二元論について解題します。これが非常に秀逸で読み応えがあります。

三島作品を読むと、二元論的に読解することは自然なように感じます。少なくとも私自身はそうです。ただ、平野さんによれば、三島の長編小説における二元論とは、硬直的に世界を単純化して捉えるためのものではなく、「時空間の構造を立体的に捉えよう」(307頁)とするものであるとしています。

 三島の思想は、この積層型、並置型、時間型の三つのシンメトリーの様々な組み合わせにより成っている。三島の「二元論」については、誰もが認識しているが、重要なのは、それを二次元、三次元、四次元に区別することである。さもなくば、それらが、時に二重化されたり、内包されたりと相互に複雑に入り組んで全体を形作って行く彼の思考の軌跡を見失ってしまう。また、先述の通り、固より脱構築的に解体されるべき心理の並置型シンメトリーもあれば、「文武両道」のように「せり持ち」状の緊張関係にありながら、最終的には<絶対者>との合一を通じた”反対の一致”的な二元論の解消が目指されるケイスもある。

308-309頁

このように解説されるとはじめて、三島作品を安易な二元論で解釈していると、それでは回収できない引っ掛かりをおぼえていたことに気づかされます。三島作品の立体的なシンメトリー構造という捉え方で読み返すと面白いのかもしれません。

①積層型シンメトリー

三つのシンメトリーについて、備忘録的にかいつまんでポイントだけ列挙します。まず積層型は、「上下関係による積層的なシンメトリー」(307頁)です。秩序の維持のための力の発揮や、時には隠蔽的コントロールといった上層から下層に向けた矢印が一方であり、他方では下層から上層への内圧的な力が働くことでシンメトリーを成す、というものです。

②並置型シンメトリー

タテの関係ではないヨコの関係を多項的に描き出すものです。これは多様な他者によって構造化するものがわかりやすいものですが、一人の登場人物の中における多様性という描き方をされるケースもあります。多様な他者と相対する時に顕在化する人物の内面・外面における多様性という点は、平野さんの分人主義と共通するものと言え、実際に「文人化」(308頁)という鍵概念を記載して説明されています。

③時間型シンメトリー

これは端的に「時間的・歴史的な前後関係に基づくシンメトリー」(308頁)です。三島作品の中で繰り返し現れる構造としては、戦中と戦後といった対比構造がこれに該当します。

唯識における並置型と時間型シンメトリー

では、『豊饒の海』ではどのようなシンメトリー構造が成されているのでしょうか。以下、素人考え的な解釈が含まれることをご容赦ください。

まず、全四巻を通じた主人公的存在である本多繁邦の唯識に対する思索の変遷が、本作品での時間的・空間的移動に現れていると平野さんはしています。

 小説内の小乗から大乗への理論的発展は、小乗仏教圏のタイのシャムから、かつての大乗仏教圏であり、現ヒンズー教圏のインドのベナレス、更には帰国後の東京という本多の空間的移動に沿って為されているが、これは、第二次大戦の激化という時間的推移にも連動している。

367頁

『豊饒の海』執筆過程で三島は唯識についての知識を深めたと言われますが、本書での平野さんの唯識に関する丁寧かつ詳細な解説も読み応えがあります。そうした平野さん自身の思索もあって、上記引用箇所のような並置型と時間型のシンメトリーの織り成す構造が明らかにされているのは心地よさすら感じます。

輪廻転生による積層型シンメトリー!?

では積層型シンメトリーはどのように描かれているのでしょうか。『春の雪』から『天人五衰』へと輪廻転生していく存在に対する、主人公の認識のありようによって描かれているとも考えられそうです。

『豊饒の海』の第一巻の清顕、第二巻の勲は、その個々の「文化意志」のように、「世界有」のレイヤーに人格を備えて実在し、「絶対的一回的人生」を全うするが、第三巻のジン・ジャンは、既に「ドロドロした」層以下の存在であり、第四巻の透は、更に「世界無」に至る認識対象となっている。「のぞき」によって、本多が見ようとしていたのはこうした構造である。

393頁

主人公の観察やのぞき的な行為は、作品が進むにつれて気持ち悪さすらおぼえるものなのですが、観察によって描き出そうとした作品の構造があった、と捉えればまた新たな読み方ができるのかもしれないと感じさせられました。


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