【読書メモ】『ナラティヴ・セラピー・ワークショップ Book1 基礎知識と背景概念を知る』(国重浩一著)〜基礎知識篇〜
本書を読んで思ったこと。それは、言葉に自覚的になり、言葉を大事にしたいというシンプルだけど難しいことです。
ある事象を言葉にすることで、私たちは他者と共通理解を得られます。他方で、現象を言葉にすることで零れ落ちる何かが必然的に生じます。さらには、その言葉が文字として表出されて膾炙すると、近しい概念を次々と包含し元々の背景や前提から離れていきかねません。
この危険性については、少し前の組織開発、現在のジョブ型といったビッグ・ワードを考えればわかりやすいかもしれませんね。どちらも背景や文脈が取り除かれ、なんでも組織開発、なんでもジョブ型といった本質的な内容を欠いた議論になりがちです。
何かを名付けることの危険性を述べている書として想起されるのは老子です。老子道徳経・上篇32に「道は常に無名なり」というものがあり、金谷治さんは以下のような解説をしています。
名ができたとなると、そこから無限の差別が出てくるから、その名を追い求めることをやめて、止まるところをわきまえるべきであろう。止まるところをわきまえると、それによって危険をまぬがれることができるのだ。(金谷治訳『老子』110-111頁)
ナラティヴ・セラピーでは言葉を大事に扱い、語り手の語る物語に焦点を置きます。聴き手は操作的に質問や主張を投げかけることを避け、語り手が語りやすいように促します。
では、なぜナラティヴ・セラピーはこのようなアプローチを取るのでしょうか。その理由は、ナラティヴ・セラピーの目的が、語り手のアイデンティティの変化であるからだと著者は端的に述べます。
私たちのアイデンティティは多様なものです。学生時代を思い出してみてください。
学校で友人と話しているときに、授業参観で来ていた親と鉢合わせた時、自分の使っている言葉や態度に違和感をおぼえて居心地の悪さを感じたことはないでしょうか。これは、友人といる時の自分というアイデンティティと、親といる時の自分というアイデンティティとがあるためと考えられ、役割が多様であればアイデンティティも多様と考えるとわかりやすいでしょう。
ナラティヴ・セラピーでは、こうした個人のアイデンティティの多様性とその変容を前提にして、人を静的に捉えるのではなく動的に捉え、変化の可能性を信じるアプローチと言えそうです。
本書の第1部を中心にまとめた基礎知識篇はここまでです。次回は背景知識篇を取り上げます。