気になる物部の系譜
学校では教えてくれない、物部の系譜。大筋をまとめてみました。どうも物部の先祖が出雲進出?した時代は、神武天皇が東征のもっと前。その意味では、天皇家よりも歴史が古い、大和の「ええとこさん」と言えそうです。
饒速日命(神武東征以前)
宇麻志麻治命(神武1代)
彦湯支命(綏靖2代)
出雲心大臣命(孝昭5代)
大矢口宿禰命(孝霊7代)
大綜杵命(孝元8代、開化9代)
伊香色雄命(崇神10代)
物部十市根命(垂仁11代)
物部胆昨宿禰(仲哀14代)
物部五十琴宿禰(神功皇后14代)
物部伊莒弗(履中17代)
①→物部布都久留(雄略21代、清寧22代)→物部木蓮子(仁賢24代)→物部麻佐良(武烈25代)→物部麁鹿火(継体26代)→???(???)
②→物部目(雄略21代)→物部荒山(宣化28代)→物部尾輿(宣化28代、欽明29代)→物部守屋(用明31代)→❌
③→物部目(21代)→物部荒山(宣化28代)→物部尾輿(宣化28代、欽明29代)→物部御狩(敏達30代)→物部目→物部宇麻乃(孝徳36代)→石上麻呂(天武40代)→女性(藤原宇合に嫁ぎ藤原家に吸収)
④→物部目(雄略21代)→物部荒山(宣化28代)→物部尾輿(宣化28代、欽明29代)→物部御狩(敏達30代)→物部目→物部宇麻乃(孝徳36代)→石上麻呂(天武40代)→石上乙麻呂(聖武45代)→石上息嗣(淳仁47代、称徳48代、光仁49代)→???
①の物部麁鹿火は、527年に、筑紫君磐井の乱に勝ちました。北部九州の地を治める許可を継体天皇からもらっています。その後どうなったのか?書かれていません。
②物部守屋は、蘇我馬子らに討伐されました。
③この系統は藤原家に吸収されていきました。
④物部氏で一番長く残った系統です。この後どうなったのか不明。
まとめ
物部氏の一族の父系の末裔は今でも残っているのでしょうか?もしも残っていたら、天皇家よりも歴史が古いことは確実です。最初は天皇家も頭ペコペコだったのかもしれませんね。蘇我よりも圧倒的に歴史がありますね。それと勢力は少し別問題なのですが。
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