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東西の天子②(東野治之氏)

日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。

少し違った記述が見られたので、東野治之氏の「ある本の中から」紹介していきたいと思います。

→ある本はこちらからご覧いただけます

本日気になった説

隋の煬帝が怒った理由は、全世界に1人しかいないはずの「天子」を、東方の野蛮人の国である倭の君主が名乗ったことである。

根拠

「日出づる処」、「日没する処」は、『大智度論』という仏典から出た言葉である。隋の煬帝は熱心な仏教信者として、父の文帝と同じように菩薩戒を授かっていた。「日出づる処」、「日没する処」という表現が『大智度論』から借りたものであることは、お見通しで、倭人もなかなか隅に置けないと思ったはず。そもそも、「日出づる処」「日没する処」という表現は東西南北の別称で、倭と隋お互いの関係に優劣の区別をつけるものではない。倭国を日の出の勢いを持つ国とし、隋を衰えてゆく国と貶めたのではない。残るは、「天子」という表現となるから。(中国が世界の真ん中にあるとする中国古来の考えに、異議を唱えう意味を含めていたかもしれないが=不明)

仏典から

どうも仏典の教養を利用して色付けしたみたいです。

本来なら

東の天子から西の天子へ

となるところが、

日出づる処の天子、日没する処の天子

です。

なぜ?あえて周りくどく?

外交文書だからです。外交もそうだし、経営者会議もそうだし、上流階級の中では、相手を説得するために、もっと深く納得する必要があります。納得させる手段として、教養というものが使われます。

なぜ?仏典から?

隋の煬帝の素性を意識したからです。煬帝は熱心な仏教信者でした。皇帝は教養があって当然です。幼い頃から帝王学や各種教養を授けられます。だから、「煬帝さん、あなたは仏教に熱心なお方なんですね」と配慮した外交文書になっているわけです。当然、皇帝ほどの人物であれば、「ああ」とわかります。

倭国的には?

逆を言えば、倭国はしっかり文明的ですよと示す狙いもあったでしょう。隋にとっては隅に置けないとなるのはスジが通ります。

中華秩序の否定か?

東野治之氏は、「かもしれませんが」としています。要は、本人は「わからない」という意味です。解き明かせなかったのですね。中国が中心という世界観からすると、「東の天子、西の天子」というなら、確かに挑戦的に捉えられそうです。どこまで意味を含ませたのか、まだわかりませんね。

残る可能性は?

隋の煬帝が怒った理由は、全世界に1人しかいないはずの「天子」を、東方の野蛮人の国である倭の君主が名乗ったことである。

となるわけです。

天子の箇所は、「天子はひとり」という価値観があるからです。天子はふたりでは困るわけです。だから、煬帝は激怒したのだとね。

まとめ

今回の説は、消去法を使っているので、説得力あります。ただ、中華秩序への挑戦となるのか、はたまた、ただの仏教ほどの高度な教養ありますよアピールなのか、どうなのでしょうか? よかったら、同じ分野の記事を量産していく予定なので、ぜひご覧ください。  さらに学びたい方はこちらへ



参考文

『聖徳太子ーほんとうの姿を求めて』東野治之,岩波ジュニア新書,2017

引用元が書かれていないものはすべて↑上記の参考文献から引用しております。なお、文意を、要約、取捨、選択、加筆、修正を行なっています。著者の趣旨と違えている場合があります。その場合ご了承ください。著者が、本のなかで他者の理論を引用していたりしています。その場合、本文の最初に、誰と誰の説なのかを書かせていただいております。なお、私の自説についてもわかるように明示します。



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