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頭入らない??倭の五王おしえて?

倭の五王はナゾ満ちている。

倭の五王一覧

①倭王讃 ②倭王珍 ③倭王済 ④倭王興 ⑤倭王武

血縁関係

①倭王讃 ②倭王珍    
③倭王済 ④倭王興 ⑤倭王武

彼らについて有名なお話は、近い血縁関係がない薄いということが一般的に言われています。血縁関係で区分するとこうなります。

血縁関係+兄弟分け

①倭王讃(兄)と②倭王珍(弟)   
③倭王済(父親) ④倭王興(兄) ⑤倭王武(弟)

大きな断絶

②倭王珍(弟)   ③倭王済(親)の間で大きな断絶がありますが、これが血縁関係とされているところです。

原典は

原典は『宋書』と呼ばれる中国の歴史書で、③倭王済に関しては②倭王珍に対して関係性が一切明示されていないのです。

中国側の事情

もちろん、はるばる南朝宋の首都(建康)まで貢物と使者を送ってまで、朝貢してきたのですから、皇帝の権力を仰いでくれる部下のような国々に対して、不親切な態度を取るわけがありません。ましてや、武力や経済力があり、遠縁の倭国が朝貢してくることなど、皇帝としては嬉しくてたまらなかったことでしょう。軍事的に攻めてくることはほぼないことはわかっていたでしょうから、事情を細かく聞くことは可能でしたでしょう。でも、②③の間はの関係は記述がなされていない。

なぜか?

血縁関係がなかった、薄かったということ。ただし、王を継ぐことができる人は有力者に限られてきます。有力者であるには、血縁関係は重要な要素です。だから、先代や先先代やさらに昔に血縁関係があったことは想像できなくはない。王位継承というものは大和の天皇に関してもそうですが、血みどろに争うような皇位継承が行われることは何度もありました。みんな権力というものは欲しくて欲しくて仕方がないのですね。

王族を盾にした有力者どうしの争い

倭王候補のバックには必ず利害関係のある有力豪族がいます。王の座を勝ち取った側があれば、負け失った側もいるということ。当然、王の座の正統性に疑問が投げかけられます。言い換えれば、③倭王済の朝貢は、正統性のバックを保証してもらうための朝貢となります。

再現してみる

つまり、想像できうる状況は、血縁関係が先代、先先代か、もっと前まで遡る。③倭王済は王の座を欲しくて仕方なかった。そのため、何らかの強引な方法で②倭王珍の後を継いだ。国内反発が起こり早急に宋に承認を求めた。と。



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