東の天子 人がちがう?
隋の煬帝に送った、有名なフレーズ。しかし、そこにはちがう名前が書かれていた。
学校の歴史教科書は『隋書』倭国伝から大業三年、其の王多利思比孤、使を遣して朝貢す。使者日く、『聞く、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと。故に遣わして朝貢せしめ、兼ねて沙門数十人、来りて仏法を学ぶ』と。其の国書に日く、『日出づる処の天子,書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々』と。帝之を覧て悦ばず、鴻臚卿に謂ひて日く、『蛮夷の書、無礼なる者有らば、復た以て聞する勿れ』と
→西暦607年、倭国の