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とうとう出版社を退職しました③

はじめてnoteを使ってみて思ったのだけど、このコミュニティには編集者とかライターという人たちが思いの外多いのだね。そして、さすが運営会社のトップが元編集者のせいか、めちゃくちゃ使いやすくて驚いた。書きやすい。ずーっと書いてられる。気がつくと深夜とかになってる(危険)。なのでどんどんテーマからそれて長文になっていく傾向があるので注意していきます。はい。

出版海への航海は凪から大嵐へ

というわけで、4人で出版という海へ航海に出たわが会社(ほんとに船みたいな名前だったからお店で領収書もらうとき「漁船ですか?」とか聞かれたりしたのも懐かしい思い出)は、スタート時の困難を逆に好機へと変えて業績をアップ。年商もプロダクション時代の年商1億から一気に10倍にまで跳ね上がった。さらにその勢いそままに、我々はアウトドア専門出版社から一般的なジャンルも扱う総合出版社へ舵を切ったのだ。どどーーん(波が砕ける音)

こんな経緯があって生まれたのが雑誌「天然生活」である。一般誌市場への切込隊長に命ぜられた僕は、悩みに悩んだ末(たぶん1年以上立ち上げるまでにアイドルタイムがあったように思う)、当時の自分と同世代30代前後の主婦層をターゲットにした女性生活誌を立ち上げることにした。ちょうど世の中では「スローライフ」(もはや懐かしい・・)という言葉がもてはやされていた。「エコロジー」という概念もまた商業的に便利に使われ出した時代でもあった。そんな時代を横目で見ながら「でも、生活を変えていくってどういうことだろう」と、とても疑問に思っていた。もしも本気で環境に配慮した生活を目指していくのならば、日常生活と一番近い距離いる主婦層に、環境のため、地球のためとかではなく、大切な家族のため、そして自分のために新しい時代の豊かさを提案していくことが絶対必要だと思った。大量生産、大量消費、使い捨てなど高度成長期に生まれた日本の物質主義からの転換、なんて書くとめちゃくちゃ難しそうだから、これを頭でっかちにならず難しさは全部排除して、おしゃれに、かわいく、素敵に見せる。たとえば子供が食べるおやつを手作りするのは、もちろん安全や健康を考えてのことだけれど、その行為こそがおしゃれで、かわいくて、素敵なんだよ。ぴかぴか新品よりも、手から手へ受け継がれ、継いだり、繕ったりしたものにこそ美しさがあるよ、という価値の転換。雑誌タイトル「天然生活」はナチュラルライフの和訳だ。アウトドア雑誌を母体とする出版社らしさも残しつつ、4文字の法則(人気雑誌のタイトルは必ず4文字以内という法則が業界にはむかしからある。anan、popeye、non-noなどなど)も、ぎりぎり漢字で乗り切った(汗)。実はこの題号は僕がつけたわけでなく、編集のいろはを教えてくれた先輩編集者が名付けたもので、当初はその先輩がこの雑誌を立ち上げることになっていたのだが、やんごとなき事情で僕が創刊編集長を拝命したのだった。

営業部の電話が鳴りやまない!という状況をはじめて体験したのはこのとき。創刊した天然生活はあっという間に完売。書店さんからの注文電話、読者の方からの喜びや励ましの電話で回線がパンクした。つくづく運がいいと思ったのは、これまた釣り雑誌と同じく発行のタイミングが絶妙だったのだ。世の中の大きな流れにのっかって、天然生活はあっという間に発行部数20万部に達した。いつしか書店の棚に「暮らし系」と呼ばれるジャンルができあがり、天然生活に類似した本もたくさん登場した。編集プロダクション時代に1フロアだった会社は雑誌のヒットで3フロアになった。
きっと僕の低い鼻もこのときだけはピノキオ並みに伸びていたに違いない。

ところがである。好事魔多し。順調に航海していた船の船体に小さな亀裂が生じ始めたのだ。その頃の僕はもういけいけで、勝手に、この会社を今後社長として切り盛りしていく気持ちでいっぱいになっていた。だけど、創業社長にはこれまた違う意図が存在するわけで、出版社が徐々軌道に乗ってくるごとにメンバーに親族が加わるなど着々と事業承継の準備が進んでいたのである。それはそうであろう。仕事を任されているからといって社長になる資格があるわけではない。単なる雇われの立場である。しかし僕は会社立ち上げ当初、創業社長が「この会社はいずれ君たちでやっていってほしい」と、たぶん僕らを奮い立たせるつもりで言った言葉を真に受けて全速力で走っていた。なんならこの会社は自分より大切な存在だとさえ思っていた。いつの間にか会社のために良かれと思ってひとりよがりで突っ走る僕は創業家にとって少しやっかいな存在になっていた。小さな会社がスケールしていくときによくある話と言えないこともないけど。
その頃がいちばん気持ち的に辛かったなあ。仕事はうまく行っているのに、会社の中で自分の立場がスポイルされていくような状態。創業社長からしたら自分たちの城を守るために必死だったのかもしれない。金銭的なリスクもすべて背負ているのはもちろん社長だ。その経営的なプレッシャーはほんの少し株を持たせてもらっているだけの僕には計り知ることはできない。
 不思議なことに天然生活という雑誌は部数の規模以上に市場で評価されていた。それだけ影響力も大きかったのだろう。天然生活の価値が上がれば上がるほど、会社の中で僕という編集者がいる場所がなくなっていくのを感じていたのもその頃だった。

ぜんぜんまだまだ追いつきません・・いい加減皆さん飽きてきたかもしれませんが、まあもう少しお付き合いを。つづきはまた!
(写真は最近保護した野良子猫のやんです)




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