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私を縛る「べき」と、私のための「大人」。
30年の人生の中で、1番楽しかったのは高校時代でした。
信頼できる友人に囲まれて、勉強にもイベントにも打ち込んで。
少なくとも当時は学区制度があって、学区外の生徒は合格者の中の30%と決められていました。
その狭き門をくぐり抜けた自負は、虚栄として今も私の胸に輝いています。
だって、大学を卒業してから何も成してないんだもの。
自信の根拠なんて、はるか昔にしかないわ。
でも、もしかしたら、私は気づいていないか認めていないだけなのかもしれません。
成した何かを。
私は何を成したでしょう。
働いては辞めて。
結婚して。
大学院に通って、辞めて。
母になって。
娘を懸命に育てているところ。
寝たきりにならないよう、家事と育児と自分の時間のバランスを取ろうとしている。
あるいは、成そうとしているところなのかもしれません。
うつ病になって、それでも母になり、病気と付き合いながらより良く生きる方法を身をもって探しているところなのかもしれません。
さあ、その結果はどうなるかはまだわかりません。
ここで言いたいのは、成した何かではなく、私は社会が望むように生きてきてやったじゃないかということなのです。
女性だけど、高校・大学と進学し、就職もして、結婚・妊娠・出産を経ても働こうとしてたじゃないか。
なのになぜうつ病なんかになってしまったのか。
この病気になっただけで、なんだか疎外感を覚えてしまう。
こんなに悲しいことってあるだろうか。
夫は稼いでくれるけれど、家庭としては中流にいると思うけど。
私個人は下流じゃないか。
ひとり放り出されたら死んでしまう。
夫は生きていけるけれど、私は死んでしまう。
そんな自分を、どう誇れというのでしょう。
大人としての、人としての尊厳が奪われている。
そんな感情に襲われるのです。
私はたくさんの「べき」に縛られている
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