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どうやら、この曲をまだUPしてなかったらしい。
20年以上前に作って、何度も何度もライブで歌い、少しずつ歌詞が変わって、でもまだ正式に音源化されていないという奇特な曲。
この曲を作ったのは1995年。
僕は30歳になったばかり。前年の坂本龍一ワールドツアーを終えてすぐ、初めて連ドラに役者で出演することが決まり撮影に入った。ドラマが放送されてすぐ95年1月17日に阪神大震災発生。(そのあたりはここ
11/18のライブのために、3人バンドで演奏できるアレンジを考える日々。
以前公開した曲も、アレンジし直してみた。
https://note.mu/takano_hiroshi/n/n718b765fe3f2
バンドのメンバーに聞かせるためのデモなので、ドラムは適当。。。
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未発表曲を「MEMORANDUM」にポストしています。
https://note.mu/takano_hiroshi
以前UPした曲↓ のバンドバージョン。
https://note.mu/takano_hiroshi/n/nd6b7549ee09f?magazine_key=mb1ac9feba483
この頃僕はメジャーレーベルを離れ、それまでずっとお世話になった先輩方とも距離を置いて、年下のミュージシャンたちとセッションしていた。この曲で演奏しているメンツはその後みんな、コブクロ、平井堅、m-flo、椎
※ 試聴リンク→ https://soundcloud.com/sunburst_shines/ver1
やっとできた。難しいテーマだった。
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キュリー夫妻(ピエール&マリー・キュリー):物理学者。
ラジウムを発見、1903年アンリ・ベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞。
放射線治療(X線写真)の応用技術を、特許を取得せず無償で供与。
夫妻は極貧生活を送りながら、当時は未知だった放射線の研
「See You」と同じ時期(1995)に作っていた曲。
詞を3行と少し書き換えたら、いい曲になった。
いいのが録れたので、すぐにUP。
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君の誕生日
作詞・作曲:高野寛
君のすきなところ 見ているのが好きさ
君のすきなところ いつも見ていたいや
楽しかったこと 教えておくれ
仕事の疲れも すぐに消えるさ
君のすきなところ 見ているのが好きさ
僕のすきな君を 今日も見ていたいや
辛い
「Eye to Eye」に似てるボサノヴァ風。
今思えば、トッド・ラングレンの「Too far gone」とか「Influenza」に影響されてる。
つまり、トッド風ボッサ。
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See You
作詞・作曲:高野寛
See You 言って 何気なく
See You 同じ 笑顔で
多分 車のドアを閉めた 何でもない一時が
このままもう 二度とは 来ないと知っても
See You そして サ
ライブの後で眠れない頭で古い曲UP。
これを作ってたのは1994年の暮れで、多分ドラマの撮影が始まっていたんだと思う。
人生で一度だけ、連続ドラマに出たことがある。
悪役で。
自分なりに、役に没入しようと努力していたんだな。
だから、こんな歌詞を書いたんだと思う。
一人称「俺」も珍しい。
歌い方もいつもと違う。
曲としては悪くない。
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High !
作詞・作曲:高野寛
High Hig
1995年の未発表曲。
曲調は80年代のTodd Rundgren’s UTOPIAの雰囲気がある。エレキ12弦のソロはCD化された曲だと「Sunnyday weekend」くらいだとおもう。
1995年からみた2001年は、6年後とはいえ、まだまだ遠い未来に思えた。昭和生まれで万博の時小1だった僕は、21世紀になったらタイムマシンや空飛ぶ自動車や宇宙旅行があたりまえになっているんだろうとずっと
デビューアルバムに収録された「国境の旅人」のデモ。同じカセットに3つのバージョンが入っていて、少しずつSSWとしての高野寛の歌が見えてきたころ。(20歳頃の伸びしろって凄い)
ほとんど曲としてはできていた。
つまり、CDのバージョンで追加されたイントロや間奏、その他の装飾やドラムのパターンetcは、幸宏さんのプロデュースの成せる技。
横尾忠則さんの本をよく読んでいたので、その影響もあって、詞の
「Rain or Shine」の頃に作った曲。何度かライブでは歌ったし、96年頃にスタジオでセッションしたこともあるが結局音源化されなかった。
当時僕の担当ディレクターが短期間に何人も交代してしまって、一度立ち上げたプロジェクトが上手く引き継がれなかったり、少々混乱していた時期だ。結局、僕はその少し後に自分からメジャーとの契約を切ってしまうことになる。
この音源は1995年に一人で録ったデモ。