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尊王攘夷? 開国? 幕末は難しい! 『青天を衝け』の時代を理解するコツとは
「幕末の動乱」というフレーズを、聞いたことがある方も多いでしょう。
江戸時代末期から明治維新へと至る、さまざまな出来事の起きた変革の時代です。坂本龍馬や新選組が活躍した時代、といった方が、イメージしやすいかもしれません。2021年に放送された大河ドラマ『青天を衝け』でも、前半は幕末を生きた渋沢栄一が描かれました。
さて、そんな幕末ですが、「わかりにくい」と思ったことはありませんか。「尊王攘夷」って何? なぜ水戸が注目された? なぜ黒船が来航した? などなど、そもそもの前提があまり説明されていないことも多く、「なんだか思想やら外国やらがからんで、難しいなあ」と感じてしまいがちです。
そこで今回は、「ここを押さえておけば、幕末を理解しやすくなりますよ」というポイントを解説した記事を紹介します。『青天を衝け』の内容にも沿っていますので、ぜひご一読ください。
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幕末はいつから?
幕末という言葉は、「江戸幕府の末期」に由来します。では、幕末はいつからなのでしょう。実は、明確な定義はありません。が、一つの区切りとして、嘉永6年(1853)のペリー来航からとする見方が一般的です。
外国船の日本来航は、もちろんペリー以前にもありました。寛政4年(1792)、蝦夷地(現、北海道)に来航したロシアのラクスマンをはじめ、ロシア人、イギリス人、アメリカ人などが次々と来航し、多くの場合、通商を求めています。これに対し幕府は、すべて拒絶。通商はオランダ、中国のみに限定しているというのが、その理由です。では、なぜペリーの開国要求を幕府は拒絶できなかったのでしょう。
それは、それまでの来航者と異なり、蒸気船の軍艦で現れたペリーが武力を背景に恫喝したからでした。「恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点がある」とペリーは考えたといわれます。ペリーのねらいは図に当たり、幕府は現状の日本の軍備では打ち払えないと判断して、開国要求を呑みました。しかし幕府の弱腰に、多くの日本人が「こんなことで日本は大丈夫なのか?」という強い危機感を抱きます。幕末は、この強い「危機感」から始まったといっても過言ではないでしょう。
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水戸学と尊王攘夷とは?
実は危機感は、ペリー来航で初めて生まれたわけではありません。それ以前から外国船に対する警鐘は鳴らされていました。その一つが「水戸学」です。大河ドラマ『青天を衝け』では、渋沢栄一(演・吉沢亮)の学問の師である従兄の尾高惇忠(じゅんちゅう、演・田辺誠一)が、渋沢らに教えるシーンが描かれています。
「水戸学」とは、もともと水戸徳川家2代の徳川光圀から始まるもので、天皇を尊崇する「尊王」を重んじる考え方でした。天皇は尊い存在であり、だからこそ天皇から政治を一任された徳川将軍も、敬うべき存在なのだという考え方です。
そうした考え方が根づく水戸藩で文政7年(1824)、大津浜事件が起こります。水戸藩領大津浜(現、北茨城市)に突然、イギリス人12人が上陸したものでした。この時は交渉の末、船に帰したものの、長い海岸線を持つ水戸藩は、その気になればいつでも外国が侵攻できるでしょう。また、長い海岸線は水戸藩に限らず、島国である日本全体がそうであるともいえます。この危機感から生まれたのが、水戸学を象徴し、幕末のキーワードともなる「尊王攘夷」という考え方でした。
では、尊王攘夷とは何なのか、幕末の動乱は何が問題だったのか、そして幕末に渋沢栄一は何をしていたのか、和樂webの記事「幕末って何? 2021年大河ドラマ『青天を衝け』の背景をQ&Aでサクッと解説」をぜひご一読ください。
幕末当時の大前提
さて、記事はいかがでしたでしょうか。
もちろんこの記事で、幕末のすべてについて網羅できているわけではありません。長州藩や薩摩藩の動きはどうだったのか、水戸藩はその後、どうなるのか、なぜ幕府を倒さねばならなかったのか、徳川慶喜は幕末にどんな役割を果たしたといえるのか等々、いろいろと大きなテーマがありますし、また政治状況が刻々と変化しますので、その都度見ていく必要もあります。それらについてはまた、機会を改めてご紹介できればと思います。
ただ当時の大前提として、日本人の間では「尊王攘夷」の考え方が浸透していたこと、欧米列強の脅威に対する危機感が常にあったこと、その脅威に対処できる日本のあり方の模索が続いたこと、などを押さえておくと、幕末の動きの意味がある程度見えてくるのではないでしょうか。そのための入り口として、また『青天を衝け』を楽しむための予備知識として、今回ご紹介した記事が多少でもお役に立てましたら幸いです。
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