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東京大空襲で思うこと

東京の下町で生活していると、3月10日といえば
昭和20年(1945)の東京大空襲を思い起こす。
74年前、10万人もの民間人がなぜ無差別に殺されたのか。

焼け焦げた電柱

東京都台東区三筋1丁目のマンション脇に、黒焦げの木のようなものが立っています。

これは昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲の際、炎で焼かれた電柱の姿でした。もっともこれはレプリカで、現物は博物館に保存されているそうです。

当時の電柱といえばまだ木製が多く(スギ品種)、太い丸太状のものでした。それが黒く焼け焦げ、途中からへし折れています。いかに炎の勢いが凄まじいものであったかを物語っています。

電柱がこれほど燃えているということは、付近に密集して建ち並んでいたはずの木造家屋は推して知るべしでしょう。ましてその夜は季節風が強く、火の回りが早かったようです。

また普通の火事とは異なり、空から次々と焼夷弾が降ってくるわけですから、逃げ惑う人々にとって、どれほど絶望的な状況であったか。三筋周辺の路地を歩きながら、そんな光景を想像しておりました。

3月10日の夜0時7分から始まったアメリカ軍の無差別爆撃は、東京下町の市街地に狙いを定め、戦略爆撃機のB29を325機投入、その夜に投下された爆弾、焼夷弾は38万発余り、1,783トンにのぼりました。

しかも投じられた焼夷弾は、日本家屋を炎上させるために最適化された新型でした。火災旋風を伴う猛火に包まれ、あるいは酸素が奪われて窒息、川に逃れて溺死する人々が続出し、女性や子供を含めて犠牲者は10万人にのぼります。単独の空襲における犠牲者数としては、世界史上最大でした。

以後も東京に対する空襲は続けられ、5月までに東京市街の50%が焼失したといわれます。

いかに戦争とはいえ、民間人を一方的に虐殺する無差別絨毯(じゅうたん)爆撃を、アメリカはなぜ行ったのか。いくつかの見方がありますので、以下、紹介したいと思います。

実感を伴わない戦争

そもそも無差別絨毯爆撃というものは、戦時下であっても、国際法上許されるものなのでしょうか

1977年に署名されたジュネーブ諸条約第一追加議定書によって、現在の戦時国際法においては、「軍人と文民、軍事目標と民用物を区別せずに行う無差別攻撃の禁止」を定めています。これによって第二次世界大戦において行われた都市圏に対する戦略爆撃は違法化されています。

ただ第二次大戦当時においては、ハーグ陸戦規則や海戦規則の国際法が無差別攻撃を禁じていますが、いずれも航空機による爆撃が現実化する前に定められたものであったため、適用されるに至らなかったという事情がありました。

では、爆弾を市街に無差別に投下することに、人間は良心の呵責をおぼえないものなのか。これについて神戸大学名誉教授の吉田一彦氏が、興味深い捉え方をしています。

アメリカの哲学者ジェシィ・グレン・グレイが著した『戦士たち、戦闘における人間の考察』という本の中には、abstractという言葉が頻出しますが、abstract warを「抽象的な戦争」と訳しても、曖昧で意味がよくわかりません。

吉田氏は「現代戦の本質を考えながら著者の本意に迫ると、ヒントになるのはabstractの反意語concrete『具体的な』だと思われる」とした上で、

「第二次世界大戦で連合軍は、地域爆撃という戦略を採用した。これは都市全体と居住する一般市民を高性能爆弾と焼夷弾で攻撃するという作戦で、相手国国民の間に厭戦気分を蔓延させるのが目的であった。要するに大量殺傷を目的とした無差別爆撃に他ならない

「その爆撃機に搭乗している爆撃手の任務は、編隊機長の爆弾投下に合わせて爆弾投下レバーを操作するだけである。彼は自分が投下した爆弾が、弾着地でどんな結果をもたらすか知るよしもない。地上がどのような阿鼻叫喚の火炎地獄と化しているのか、彼には分からない。ある程度の想像はできても、それはあくまでも観念的なものにすぎない。実際に起きている現実と、距離がありすぎるのである。つまりabstract warとは、実感を伴わない戦争のことである

これは爆撃手だけでなく、後方の司令部で地図を広げながら爆撃計画を作成する参謀将校にいたっては、爆撃手よりもさらに実際の戦闘との距離感が広がってしまうでしょう。こうした心理的距離感も、無差別爆撃を助長した一因ではないかと吉田氏は指摘しています。

この実感を伴わない心理的距離感は、現在のようにすべてコンピュータで制御され、ボタン一つで遠国に核ミサイルを撃ち込める状態にある各国を思うとさらに増しているはずで、うすら寒い思いがします。

騎士道精神の欠落

もう一つ、興味深い見方があります。イギリス人ジャーナリストのセシル・チェスタトンが『アメリカ史』という本の中で述べているのが、「アメリカは中世抜きで誕生した国である」というもので、そのために二つのものが欠落したといいます。

アメリカを建国したのはイギリスから来たピューリタン(イギリス国教会の改革を唱えたプロテスタントの一派)で、彼らはカトリックが支配した中世を暗黒の時代と考え、古代のギリシャ・ローマ文明を理想としました。

そのために「奴隷制度の廃止」と、中世に育まれた「騎士道」の二つが欠落したとします。

古代のギリシャ・ローマは奴隷制度に立脚した文明でしたが、ヨーロッパでは中世に1,000年の歳月をかけて奴隷をなくしていきました。しかしアメリカはギリシャ・ローマにならい、特に南部において黒人奴隷を使用した大農園が盛んになるのです。

また日本の武士道に相当する騎士道をアメリカは持たなかったため、戦争に対しても特異な考え方が生まれました。元来、国際法の考え方は騎士道をベースにしています。たとえば中世のヨーロッパでは、騎士が決闘した場合、どちらが良いも悪いもなく、お互いが作法をきっちりと守ればよいと考えます。

ところがアメリカでは、騎士道精神が抜け落ちているため、敵を尊敬に値するとは決して見なさず、あくまで自分たちが正義であり、勝つために敵に対して情け容赦のない攻撃をするというのです。

第二次大戦で無差別爆撃はイギリスもドイツも行っていますが、ヒトラーですらロンドンに対して行うことを躊躇したといわれます。その点、アメリカは遠慮がありませんでした。

日本に対する無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイ空軍司令官は戦後、こう語っています。

「当時日本人を殺すことについて大して悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった」
「もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」
「我々は日本降伏を促す手段として火災しかなかったのだ」

そう聞いて、納得できる日本人は少ないと思います。戦争を終わらせることが正しいことのように語っていますが、そのために民間人を焼き殺すことが許されるのか。またアメリカが敗れていたら裁かれていただろうと言うのは、自分のしたことが戦争犯罪にあたると認識していたとも受け取れます。そもそも彼らの言う「戦争を終わらせる」は、「自分たちが戦争に勝つ」に置き換えた方が、意味が通るでしょう。

もちろんこれはルメイだけの問題ではありません。普段は気づきにくくても、非常時になると、こうした論理が台頭してくるものだということを、私たちは知っておくべきでしょう。

歴史に善悪はないというのは、私の信条ですが、戦争においても、勝った側が善、負けた側が悪とするのはナンセンスです。

少なくとも、東京大空襲をはじめとする日本への無差別爆撃で、大変な数の犠牲者が出たこと、それを忘れないでいることが、せめてもの犠牲者への鎮魂になるのではと思います。

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Saburo(辻 明人)
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