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【映画】「死は無駄にはならない」=無駄にしてはいけない

今日は、『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々』(2005)を観た。戦争のどうしようもなさを感じた。自分の平和への想いの弱さを知った。

ーーーほんの少しネタバレあり↓ーーー





ドイツのナチス時代に反ナチ運動をしていた医学部生たちを描いた作品だった。最後は主人公は死刑になってしまうという救われない結末となった。
主人公が反逆罪によって死刑執行されるという日、仲間は「死は無駄にならない」と行って、死刑になる主人公の女性を見送った。死刑になるという時、一瞬外の陽を浴びて微笑む描写があった。こんなに切ないことないだろ、本当に悲しすぎる、残酷すぎる。綺麗でもエモくもなんともない。

この「死は無駄にはならない」という言葉。それはそうだと思う、というか、これは、生き残った人たちやのちの世代の人たちが絶対に無駄にしてはいけないってことだと思った。

私は生まれ育ちも日本で、戦争や平和について教科書では真面目に学んでいたと思う。本当に平和な世の中にしたいとも思っている。でもやっぱり、戦禍にいたことはないから本当の意味での危機感はないし、死ぬほど平和を願ってるかって言われたら、やっぱり戦争や平和に対して自分が何もしなくても一応生きていけるし、平和だろうなともやっぱり思っている。死ぬまでに戦争に巻き込まれることは99%ないだろうとやっぱり思っている。そんな自分が怖い。この映画を観て、もう一度思った。今この瞬間も誰かが戦争で苦しんでいる。
でも戦地に行くほどの勇気はなく、反戦デモをするほどの強い気持ちもない。何もできない自分は本当に情けなく思うし、目にみえる行動をするまでに至らない気持ちの弱さにも呆れてしまう。もちろん平和な世界にしたいのだが、やっぱりそれはハードルが高すぎてできることからやろう、という思考になってしまう。やっぱり人間は自己中心的なのかなと思ってしまう。やっぱり自分が一番で他の人が苦しんでいてもその痛みはわからず、本当の意味での利他的にはなれないのかな。戦地で支援活動している方々や報道の方々にはもう頭が上がらない。そういう人になりたいとちょっと思っていたけれど、自分はそこまでの利他的な人間ではないのかなと。
でも一つだけ守っていきたいのは、戦争に加担しないようにすることである。戦争に付随するものは私たちの周りにもたくさんある。それに関わらないこと。そして、この地球や日本にいる人が人間的に幸せになることをやっていくこと。自分は人類の発展ではなく、人々が人間らしく生きていける世界を目指してそれに関わり続けたい。

今この瞬間も戦争が起きていて、犠牲になっている人がいるということ、それを理解する。そして、これまでの歴史の中で起こってきた争いの中で犠牲になった人々の死を決して無駄にしてはいけないんだということ。戦争や平和についてなるべくたくさん考え、戦争は悲惨で残酷で人間的でないってことを死ぬまで忘れないようにしたい。一人でも多くの人が幸せに生きられるように自分の人生を使っていきたい。

2023/11/29


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