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『誰もが「己」という刑務所の囚人なのさ』
今日は、これを聞いてくれているあなたを鼓舞するような話をしたいと思います。 鼓舞される必要がないって言われたらそれまでなんですけど、勝手に鼓舞します。 今「プリズン・ブレイク」を見てるんですよ。 「プリズン・ブレイク」知ってますかね? ちょっと前のやつですけど、有名な海外ドラマですね。 アメリカのドラマでシーズン5ぐらいまでやって、スピンオフ作品とかもあって、かなりの人気のドラマなんですけど、その中で悪人なんだけど結構最後の最後までいて、人気を博していたセオドア・バックウェルっていう人物が、痺れることを言ってたんですよね。 そうそう。時間がある時に「プリズン・ブレイク」を見返してるんですよ。 もう3回目ぐらいなんだけど、めちゃめちゃ面白いですね。 先の展開はわかってるんだけど、忘れてる部分もあったりとかして、こんな場面あったなと思いながら見てますね。 そのセオドア・バックウェル、略してティーバックってみんな言ってますけど、ティーバックがすごい痺れる言葉を言っていて、「結局、誰もが己という刑務所の囚人にすぎない」みたいなこと言ってたんですよね。 実際に刑務所に入っていなくても、実際に囚われの身でなくても、結局自分という存在自体がもう檻になっちゃってる。 そこに自分の魂が囚われているんだ。周りから自由を奪われてるってみんな思ってるかもしれない。 会社から自由を奪われてる、拘束されてる、恋人から束縛されてる。 お金がないから不自由だ、時間がないからとか、あれも無いこれも無いって言って、自分は不自由だって言ってるかもしれない。 それは外部に問題を見ようとしてるんだけども、それは間違いで、結局己という刑務所を自分で作ってるんだ、ということですよね。 で、己という刑務所の中の、囚人に成り下がっているという事です。 周りは関係ないんですよ。自分なんですよ。・・・ということだと僕は掘り下げて考えてみました。 とてもしびれる言葉だったんだけど、「己」というものを刑務所にするのか、あるいは本当に自由の翼に変えるのかは自分次第なんですよね。 邪魔してくる人はいますよ。 翼に変えようと思っても「そんなの無理だ」って言ってくる人もいるだろうし、翼をもぎ取ろうとしてくる人もいるかもしれない。 だけど、それは人と関係し合って生きる我々ですからね。 人生は人間関係なんですよ。 人生=人間関係。 僕らは"関係"を生きているわけですね。 である以上、何かやろうとすると、必ず立ちふさがってくる壁が絶対あるんですよね。 それがあるから「あれが出来ない。これが出来ない」ってのは、おかしなことであって、それは出来ない自分のせいなんですよね。 周りのせいにしていること自体が、「己を刑務所にしてしまっている」って事なんですね。 だから、誰も自分の不幸にすることはできない。不自由にすることなんてできないんだと。 「どんな妨害をされても、何を言われても自分は自由という翼を手に入れるんだ」ってことですね。 「刑務所になんて決してしないぞ」というような気持ちでやっていく。その気概は大事になってくるのかなって思います。 本当にビビっときましたね、この言葉は。 「誰もが己という刑務所の囚人だ」という言葉は忘れない方がいいと思います。 僕はかなりにインパクトがあったし、このコンテンツとして残そうとしてるぐらいですから、もうこれは今後忘れることはないでしょう。 僕も気づいたら確認していこうかなと思います。 「俺って、自分自身を檻にしてないかな?刑務所にしてないかな?牢屋にしてないかな?そしてそこに魂を閉じ込めて自分の魂を囚人にしてしまっていないかな?」ということを常に自問自答する必要があるなと思います。 気づいたらやっぱり守りに入る。そういう年頃なんで、僕自身もね。 なので、自問はずっとこれからやっていかなきゃいけないなと思ってます。 飼われていない野生の動物は、自由じゃないですか。 世界をまたにかけて、生きることができてるわけですよね。 だけど、飼われていないわけだから、自由と引き換えにそこにはリスクもあって、自分を狙ってくる者もいます。足を引っ張るものもいれば、敵がたくさんいるわけですよね。 昨日まで味方・仲間だと思っていた同類も、今日は牙をむいてくるかもしれないです。 そういう世界で生きてるわけですよね。 だけど、彼らって自由なんです。 囚われていないんです。 どっちかって言うと、そっちの存在を目指していた方が、人生って楽しいんじゃないかなって僕は今でも思えています。 もし僕が、「いや、別に牢屋でもいいじゃん」「刑務所でもいいじゃん」「そこにいてちょっと自由を我慢すれば飯は食えるし、生きていけるんだから、わざわざリスク取る必要もないんじゃない?」「大きなリスクを取って自由を手に入れる必要もないんじゃない?」「そんなメリットってなんじゃないかな」って僕は思い出したら、もう僕はあなたに語りかける資格もないと思ってるんで。 そんな感じですかね。 辛うじて、僕はまだそっちの方の考えにはいっていないので、まだこれを語る資格はあるんじゃないかなと思います。 ということで今日はこの辺で。 以上。 ではまた。 ありがとうございました。
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『明日やろうは馬鹿やろう』
今日は「1日で完結させろ」みたいな話をしたいと思っていまして、1日を一つのプロジェクトとして捉えるっていうことがすごくお勧めなんですよ。 どういうことかと言うと、例えば俺は1日の始まりってのが、そんなに規則正しい始まりを迎えてるわけでもなんでもないんだけど、朝起きますと。 そしたら、その日やることを、なんとなくイメージするわけなんだけど、あれもこれもそれもやって、夜はちょっと飲みに行って…とかっていうの辞めたんだよね。 今日は仕事をする日で、この仕事に全神経を使うと決めて、今日という1日はそういうプロジェクトだっていうふうに捉えて、1日を過ごすわけ。 逆に、今日1日はもう完全に仕事はオフで遊ぶんだと。女の子とデートする、子供と遊ぶとか、1日Netflixで見たかった映画を全て消化するんだって決めたんだったら、もうその日はそういうプロジェクトなんだよ。 1日単位でプロジェクト化して完結させるっていうことを、すごく今お勧めしていて、俺自身もそれやっているんだけど、例えば1日で終わらないようなことってあると思うんだよね。 それはそれでいいんだけど、最後まで終わらなかったとしても、やりたいことの3分の1をこの日にやるっていうプロジェクトなんだよ。それは。 その日やろうと思ったことがなんとなく終わらなくて、漠然としたままその仕事は終えちゃって、夜ちょっと飲みに行ってとか、遊びに行ってとか、Netflix見たりして、結局曖昧なまま翌日にまで持ち越す…みたいなことをやってると、「明日もある」っていう気持ちになるわけ、 別に明日もあるし、来週もあるし、来月もあるし…ってなっていって、気づいたら一つ二つ年を取っていくわけだよ。 なので、「明日もある」って考える思考パターンがすべての元凶になっていて、「この日に全部終わらせる」「この日に終わらせるプロジェクトなんだ」っていう気持ちでやらないと、普通の人は終わらせられないんだよ。 特にビジネスとか仕事は「終わらせること」が何より重要で、取り掛かりはみんなするんだけど、中途半端なところで止まっちゃってとかね。 そこから何も進まなくてとか、それじゃあ何もならないじゃん。 だから、終わらせるっていう癖をつけて欲しくて、そのための有効な考え方として、1日単位でプロジェクト必ず完結させるっていう考え方を採用して欲しいなと思ってます。 よく昔から言われるのは「明日やろうはバカやろう」とか言われるじゃん。 マジでそうなんだよ。 明日はまた別の日なんだよ。 別の自分がそこにいて、別の環境がそこにあって、今日やるべきことを明日の自分に任せるっていうのは、明日の自分にかなり迷惑なんでね。 今日の自分と明日の自分って切り離して考えた方が良くて、別人ぐらいに切り離して考えるべきだと思ってます。 普通の人はそんなことすら考えてないし、できないよね。 だから、平気で明日とか未来のもっと大事なことをしていないといけないはずの自分に、全部押し付けちゃうんだよね。 押し付ける相手が自分だから、誰も文句言わないしさ。 結局何も成し得なくて、自分で自分の首を締めるみたいなことになるから、明日の自分に責任を回すなと。仕事を回すなと。 今日の自分の仕事は、今日の自分が完結させる。そういうプロジェクトなんだというマインドセットでやっていきましょう。 というわけで今回は以上です。 では、ありがとうございました。