中世の「普遍教会」の神学〜「三位一体の神」への信仰に対する批判的諸系譜
中世の教会権力がいかに絶大であったのかについては前々回、記述した通りです。では、その教会権力が打ち砕かれていくには、どのような思想の潮流があったのでしょうか。
唯名論は近代的経験論へ
これは近代的経験論へつながりました。この系譜は、あの普遍論争において、「三位一体の普遍者とは名前だけであって、実在のものではない」とする立場でありました。神学論争にこと寄せた議論であったので、教皇側としては静観するだけという対応しかできなかった。
アベラールの次に、ロジャー・ベーコン、その後、ウィリアム・オッカム、最終的には、フランシスベーコンへとつながる経験論の基礎となりました。
神秘主義は近代的自我へ
神秘主義というと、「近代」のイメージとはほど遠いように思う人もいるかもしれません。しかし、この神秘主義が「近代的自我」を呼び起こすことに、近代的自我の覚醒へとつながるのです。この系譜は、人間の「魂」と「神」との直接的な関係を主張しました。例えば、エックハルトがそうであったように、人間は魂の火花を散らして直接、神と交わるのだと主張するのです。これに対して普遍教会側は「そのようにして交わったものが三位一体の神である保証はどこにあるのか? もしかしたら、そのようにして交わったものがキリスト教的神以外のものであったら、どうするのか?」と反論したものでした。
これに対して神秘主義者の答えは、「その責任の全てはこの私にかかっている」と答えざるを得ない。つまり、この神秘主義は、近代的自我の覚醒につながるものとなったのです。中世の神秘主義は、近代的自我を呼び起こしたことになったと言っていいでしょう。
エックハルトに始まり、次にクザーヌス、そして次にブルーノその後ベーメとつながります。
封建制度としての教皇制度に対する批判の系譜
封建大領主としての教皇以下の各聖職者に対する批判と叛乱は、中世末期から近代初頭にかけて、西欧諸国で相次ぎました。これは封建制度下のかつての農奴がかなり豊かになり、自立自営の農民であることを求める、いわゆる反封建闘争と結びついたものでした。もちろん、各封建領主たちは躍起になって、この農民叛乱の弾圧に乗り出すことになります。
この種の自立自営を求める農民叛乱に巧みに乗じて、その教えを貫徹させたのは、いわゆる近代の宗教改革者たち、ルターやカルヴァンでした。しかし、以前の封建制度(再度言うが、教会制度もこれであった)に対する批判者たちは、ことごとく捕えられ処刑されています。その、代表例がチェコのフスであった。