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学校がもつ「そろえる」「がんばる」の吸引力 〜映画「小学校 それは小さな社会」
アップリンク吉祥寺で、映画「小学校 ~それは小さな社会~」を観てきた!
世田谷区立塚戸小学校の1年間に密着したドキュメンタリー。主に、1年生と
6年生に焦点を合わせて。
私も学校にはよく入っているが、それでも、授業と校内研修を中心に、見ている部分はごく限定的だ。
年度初めの職員室での席替え大移動や、卒業式のあとの先生同士のお礼とねぎらいとか、入学前の子どもの家庭での返事の練習とか、見る機会はない。そうした部分まで映し出すのは興味深い。
一方で、とはいえ私も学校に入って写真や動画も大量に撮って先生方とやりとりする身でもあるので、「自分だったら何を映すかな」とか、そうした点からも興味深く観た。
学校の1年間を映すとなると、いろいろな切り取り方があるわけだが、本作の場合、子どもたち、そして教師たちが、いかに学校で共同生活をするか、協力して事を成し遂げるか、に振り切っている。それはもう潔く。知的なトレーニングと探究の場みたいな側面は、本作では取りあげない。
そもそもが、「勤勉」やら「礼儀正しさ」やら「集団性」やら日本人の「国民性」とされるものが、どんなふうに初等教育の場で形成されているのか、みたいな問題意識でつくられた映画だしな。イギリス人の父と日本人の母をもち、自身もさまざまな学校を経験した山崎エマ監督によって。画面の表記やエンドロールからも、海外の観客を意識していることがうかがえるし。
日本の小学校がもつ、「そろえる」「がんばる」の吸引力を見事に描き出していると思う。
運動会や卒業式に向けての練習の様子とか、子ども同士で靴箱への上履きの入れ方をチェックしているところとか、あるいは先生方のほうも、「自分の役割はぼろぞうきんなので」(副校長)に代表されるような粉骨砕身っぷりやら。
しかも、本作は、これを淡々と、「良い」とも「悪い」とも性急な価値判断をせずに映し出している。
だから、おそらくこれを観た人も、「日本の学校、いいなあ」「先生たちの底力を感じた」「感動する」みたいなのから、「モヤモヤした」「自分は苦手」みたいなのまで、大きく割れるだろう。なにより、チラシでの武田砂鉄とキャシー松井のコメントのコントラストもすごい。
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私自身、1年生の「さんすうかあど みつかるといいね」みたいなのにホロリとさせられる一方で、卒業式の「はいっ!」に自分の気持ちをこめる、みたいなのに「え〜、返事なんてちゃんと伝わればそれでええやん」と思ったりもする。
淡々さを生み出している要因の一つは、ナレーションがないことに加え、インタビューさえほとんどないことだ。こうした学校モノは、経緯や思いを伝えるために、短いインタビューを挿入しがちだが(私もきっとそうする)、本作では、撮影者に向けて語っているのは(私の記憶が正しければ)2箇所しかない。まあ、教員研修での國學院大学・杉田洋先生による特別活動の話はけっこう長く入っているんだけど。
製作側がどれだけ意図したのかは分からないが、コロナ禍2年目、「緊急事態宣言」が出る時期もあった2021年度を取り上げているので、長引くコロナ禍に日本の学校がどう対処したか、そこで何が起こったかの記録にもなっている。林間学校が中止になったことへの「全部決めたのにさあー」という子どもたちの恨み節、「東京オリンピックは実施するのに…」といった疑問、黙食と着脱式パーティション、子どもの会話に登場する「ソーシャルディスタンス」や「マスクしてない」とかも。
いずれにせよ、学校のあり方を考えるのに面白い素材となる映画だと思います。
あと、素朴に疑問に思ったのが、どうやって音声録ってんだ??という点。ただでさえ音を拾いにくい教室での先生や子どもの発言、ときにはささやきもある。しかもマスクをした状態。ピンマイクをつけているのかと思ったら、その形跡はない。上からマイクを垂らしている様子もないし…。すごい。あれだけクリアに音が録れたらなあ! 教室でビデオ回すときの難しさはそこにあるし。(※あとで教えてもらった話によると、ピンマイクをつけていたそうです。教師は出勤したらそれをつけるのが日課。一部の子どもたちもつけていたとか)
卒業式場面など、少なくともカメラが4台は入っている様子なのが確認できたが、この撮影、手続きとか了承とかのソフト面もさることながら、ハード面でもよくやったなあと思う。横の直線をきれいに映す(いわゆる「水平を出す」)構図を多用しているのも、おそらく、全体のテーマとのかかわりもあるのだろう(几帳面な国民性?)。後ろがあまり下がれそうな状況でどうやって撮ってんだ?とか、そんなところも気になってしまった。
偶然にも同じ日に、教職大学院での同僚の立田順一さんも観に行かれていた! 小学校の校長も経験された立田さんが「感動と息苦しさが半々」という感想を書かれているのが興味深い。