「塩を使っているからこの料理は素晴らしい」と述べるような「研究」をしていませんか?
料理に塩を使う。
肉や魚に振りかけて味を引き締めるため。
果物の甘みを引き出すため。
全体的に塩味をつけるため。
いろいろな目的があり得る。
「料理に塩を!」という提起があるとしたら、それによって挑もうとしている事柄とその文脈とを押さえる必要がある。それをせずに塩にだけ注目しても仕方ない。
けれども、院生の研究でしばしば起こるのは、塩のみへの注目。
「先行研究を検討したところ、〈塩〉が大事だとされている」
「そこで本研究では、〈塩〉を使って実践を行った。」「この実践では〈塩〉が見られる。そのため価値がある。」
これでは、「塩を使っているからこの料理は素晴らしい」と言っているのと同じだ。
これまでの議論や概念を参照するときには、それが何への挑戦や異議申し立てとして提起されたのか、それによって何を達成しようとしたのか、文脈を捉える必要がある。〈塩〉だけ引っ張ってきても仕方ない。
以上の話は、3ヶ月前に書いたこちらと同趣旨だ。
実は、「塩」の文章は、自身のfacebookに2年前に書いていたもの。たまたま先日見つけて、すっかり忘れていたことに驚くと同時に、考えていることはずっと同じなんだなあと感心もして、ここに貼り付けておく次第(比喩としては上の記事の「フォロワー」「バズる」よりもむしろ分かりやすい気がする)。
なお、上の文章の「〈塩〉」の部分に入るのは、今だと「個別最適」「デジタル端末」「リフレクション」「メタ認知」あたりか。他にもいくらでも。是非考えてみてください。