生くる 2
続きです。
「読書論」とのタイトルで「今日の日本で最も軽んじられているにもかかわらず、つい先頃まで読書人にとって、最大の価値であったものを論じようと思う。」とありました。先人たちが読書を通して得られたものの価値を五つに要約してくれました。
その5つは
1、読書を通じて文化の先達と自己との魂の対話を行う。
2、 狭小なる自己を超越するために、先人たちが如何にして生き、如何にして死したかを知る。
3、 自己の存在の根源としての先人たちの英知を学び、それを自己に有用にもちいる
4、 自己に内在する活力と使命を自覚する。
5、先人たちの残した良書を読むことにより、その知恵や労苦、喜びや悲しみを自己を媒介として子孫に伝達する。
というものでした。
しかしながら、現代では読書は情報の一環、知識を得る道具、時間つぶしと捉えている方が多いと嘆いておられました。私自身も今でこそ本を読みますが、小中学生の頃はほとんど読んでおりません。高校生の頃にほんの少し読んだ記憶がある程度、大学に通う電車の中で、それこそ「時間つぶし」の目的で読んでいたところから読む量が増えていき今に至ります。現在でも情報と知識を得る目的で読んでいるわけですから、いくら読んでも著者からすれば嘆きの対象でしかありません。
この後著者は1~5について詳細に解説してくれました。
1、読書を通じて文化の先達と自己との魂の対話を行う。
書物は先人たちの血と汗の結晶、一人の人間の全生涯を賭けるほどの魂と真心があって、初めてこの世に生まれ出るもの。古典には、どれをとっても著者たちの魂と真心が貫通しており、それを感ずるのが読書だということでした。「魂の対話」については、「まず著者をよくよく尊敬し、一言一句たりともおろそかにしない心構えを自己に課し、活字の裏にかくされている著者の真の思想に心を馳せ、みだりに自分の経験によって内容に軽重をつけないことが重要となる。」とありました。集中力に自陣の無い私ですから、「一言一句たりともおろそかにしない心構えを自己に課し」と言うあたりからもう怪しいです。もっとしっかりと本と対峙しなければいけないということでしょう。本は口を利かないので、行間を読まなければならないともありましたが、この「行間を読む」というのも容易ではありません。本書の著者の姿勢を見習って、良書をしっかりと読むようにしたいなと思いました。
2以降は次回に続きます。