悲願へ 第二部 6

 続きです。

 現代は物質に偏っており、そのために様々な公害問題に苛まれているとありました。パスカルの「ポンセ」、いや「パンセ」から「人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである」という言葉を引用していました。これは響きますね。東京裁判もそんな感じでしょう。

 著者は「正しいものは何だろうかというと、宇宙の摂理に則った生命活動をよく認識し、その生命に合った文明の形態を築いていくということに尽きるのです。それを推進する力を養うことが何よりも大切な研鑽になると思います。」と言っています。これは抽象的で捉え方が難しいです。「自分が信念とするものを通すだけの力を得なければならない」ともありましたが、この辺りを読むとまた政治家の話になってしまいます。でも、政治家の信念を汲み取ろうとせずに、大衆迎合の人気投票で政治家を決めてしまっている国民が一番の問題なのでしょうね。

 一方、「生命的に見て正しい人」と括って、それは「宇宙の真実とは何かを『呻吟し求め続ける人』が正しいということになる。」とありました。正直、宇宙のことを考えている方なんて稀有でしょう。稲盛和夫氏も宇宙の法則についてお話をされていますが、この辺りはあまり理解できておりません。稲盛氏さえも、我々に理解させるのに苦慮した部分だったのかもしれません。あるいは、咀嚼して薄め、他の言葉に交えて教えてくれたのかもしれませんが、稲盛氏も宇宙の真実とは何かを分かっていたわけではないでしょうから、「呻吟し求め続ける人」だったのだと思います。

 私も様々本を読んでいますが、本の内容についてももう少し「呻吟」しないといけないなと反省をしております。難解なところをサラッと流してしまうこともあるのですが、時には何度も読み返して、著者の言いたいこと、訳者の意図などにも思いをはせて「呻吟」することも無いと読書のレベルも上がって行かないのかもしれません。そういう意味では、本書をこれだけ咀嚼していることで、多少レベルが上がってくれるのかなと勝手な期待を抱いています。

 ちなみに、このセクションの字数がおおよそですが41字が46行だったので41×46=1886字でした。そして、そのセクションについて書いた本文が1882字ですから、全然まとまっておりません。そりゃ、1冊レビューするのに時間がかかるわけです。

 もちろんまだまだ続きますが、頑張ります。

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