疑似科学と濫用だらけの日本
日本は疑似科学と濫用だらけなのがよくわかった。
右翼左翼も背景となる認識論的な要素から考える人など見た事がない。日本では罵倒の言葉として使う。明らかに疑似科学の理屈だ。
"オタク"が犯罪者予備軍という発想も同じ。
オタクを標的とする全国の殺人やいじめや強盗も、疑似科学が根源の迫害だ。
参政権も"泡沫候補を排除するため"と言って濫用を理由に世界最高額の供託金にされた。濫用者どころか全員が対象で、実質制限選挙状態に導く制度を議員までもが肯定している。
表現の自由もこうした元来の意味とは何かという疑問や指摘に使われず、他人を見下し罵倒し、挙句の果てに「表現の自由は公共の福祉により制限される」と言って、気に入らない表現を制限する「公共の福祉」をその段階で定めようとする論点先取という詭弁を始める者もいる。
濫用と疑似科学の同居だ。
生活も生活に直結する政治も人権も、疑似科学が支配している。
そういう事は無いと言う人はきちんとこの状況に向き合ってないからそう言えるだけ。 濫用して疑似科学にすり替える者が跳梁跋扈する。
日本人ならそれに徹底して向き合わなければならないと憲法に定められているのに、「憲法に国民が従う義務は無い!!」と連呼する者も現れる。これも疑似科学疑似憲法学だ。税金払ってないんだろうか。
憲法十二条に人権を不断の努力で維持し濫用してはならないと明記されている。 守ってる市民がどれほどいるのだろうか。 嘘吐きだらけではないか。
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