左右の全体主義と戦った香山健一氏の思想と教育改革への思い
昨日の投稿では、学習院大学教授の香山健一氏との出会いと、臨時教育審議会(以下、臨教審)の議論について投稿した。
今後の教育改革の在り方を考えるにあたり、臨教審の今日的意義をいかに総括するかがたいせつではないか、というのが私の問題意識である。
臨教審の最大の論点は「教育の自由化」についてであり、中でも「和と多様性」をめぐる議論が絶えず続いた。
そのような中、香山健一氏は、臨教審の「議論のあり方」について、戦前の日本軍に見る組織的問題(詳細は昨日のnoteを参照)があるとして、『失敗の本質ー日本軍の組織論的研究』(共著・戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎)を臨教審の全委員、専門委員に寄贈した。
寄贈した本に付せられた手紙には次のように記されていた。
香山氏が亡くなった後、机の中から「忍」という多くのメモ書きが発見された。
臨教審の議論の渦中にあって、自身の主張への風当たりがいかに強かったか、またその中で過去の過ちを繰り返さないよう、臨教審のあり方、議論のあり方にどれほど心を砕いていたのかが偲ばれてくるエピソードである。
●「自由」の意味と「和の精神」を問い直す
さて、話を臨教審の議論「教育の自由化」に戻そう。
具体例を示すと、臨教審の第一部会は事務局の文部省抜きに委員と専門委員だけで合宿集中審議を行い、「教育の自由化」とは何かについて激論を闘わしたが、参加していない事務局がまとめた「合宿集中審議メモ」は文部省のバイアスがかかった内容に加工されており、議論の内容を正確に反映したものではなかった。
元文部次官の木田宏氏が香山健一氏に「自由化という言葉は何を意味するのか」と問いただしたのに対し、香山氏は「自由化のエッセンスは個性主義だ」と答え、ダイエー社長の中内功氏も賛同したために、合宿の結論としては「個性主義」を推進する方向でまとめられたが、後に「個性主義」という言葉は馴染まないので、「個性重視の原則」という表現に改められ、私もそれに賛成した。
第一部会には山本七平氏(イザヤ・ベンダサン)など錚々たる論客が勢揃いしていたが、「教育の自由化」に関する教育学者としての学問的見解を求められたので、私は次のような見解を述べた。
「教育の自由化」論が制度改革の議論として展開されているが、「自由」にはこの4つの意味があるということを踏まえて、教育論としての本質的な議論を踏まえた上で制度改革にどのように生かすかという視点が重要であると私は主張した。
「自由」とは「自らに由る」すなわち、「自分が自分の主人公になる」ということであり、自己発見、自己尊重、自己実現、自己教育へと導く教育の原点を踏まえる必要があることを強調した。
このように本質的な教育論として「自由」の意味を明確化し、自己肯定感を育み、身を修める「修身」によって「自律」を通して「自立」へと導くことを「教育の自由化」論の基盤とする必要がある。
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