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他者と共に人間的に変容する"Human Coーbecoming"とは何か
はじめに
先日、日本型ウェルビーイングの思想的枠組について、『公共する人間』(東大出版会)を紹介した。
今回は、引き続き「公共」という思想から、「Human Co-becoming」という概念について説明したい。
※前回の内容↓↓↓
●「Human Co-becoming」という概念
「公共哲学」とは、公共的な事柄に対する人々の公共的な考え方を指す。
平成元年(1989)11月3日の文化の日に京都フォーラムが創設され、公共幸福社会、公共幸福世界の実現に向けて、矢崎勝彦氏が理事長、東大東洋文化研究所の中島隆博所長が学術部会座長、元ユネスコ事務局長顧問の服部英二氏が同フォーラム至誠塾塾長に就任した。
中島所長が提唱した「Human Co-becoming」という概念には、次の2つのポイントがある。
人間は何らかの道を通ってようやく人間的になっていくものであり、一人では人間的になることはできず、必ず他者とともに人間的になるほかないということである。
仏教で「仏、法,僧」の三宝を敬うというが、ここでの僧は僧枷(サンガ)を指している。
それは4人以上の修行者が集まった集団のことで、それが意味しているのは、仏の教えにたった一人で対峙するのではなく、4人以上で一緒に向かっていくということである。
ここには人生の先達であるメンター(指導・助言してくれる信頼できる相談相手)も含まれている。
●「礼」と「仁」ー人間的になる道
では一体どのような道を通っていけば、人間的になりうるのであろうか。
中島は古代の中国の哲学や空海に言及しながら、礼と仁、より弱い他者の方へ、他人とともに学んで人間的になる、関与する知、という視点から説明している。
古代中国では「性」を通じて、人間の「生の在り方」を探究し、とりわけ、その根底的な変容が重視された。人間の「生の在り方」を変容するためのもっと重要な道が「礼」である。論語の冒頭の次の一説はなかなか含蓄深い。
子がおっしゃる。学んで時にこれを習う。なんと喜ばしいことではないか。
朋が遠方より来てくれる。何と楽しいことではないか。
他人が私のことを知らなくても怒ることはない。君子にはふさわしいことだ。
まず重要なことは、師から何かを学んでいることである。
司馬遷『史記』孔子出家の記述を踏まえると、とりわけ「礼」を学んでいた可能性が高い。
孔子が画期的だったのは、この「礼」を「仁」という新しい人間の在り方につながるものとして考えたことである。
孔子は「仁」を「礼」の実現と捉えた。
「仁」は新しい人間の在り方、すなわち「人間的である」ことを指し示すものとして提出された新しい概念である。
感情を陶冶する規範である「仁」を身につけることで、感情を豊かにし、それを他人まで及ぼすこと、それが「仁」であり、人間的であるということなのである。
「朋が遠方より来てくれる。何と楽しいことではないか」とあるのは、学びのプロセスが自分だけでは完結しないということを意味している。一人ではなく、他人とともに学んで人間的になっていく。
●空海の生き方ー「他人があなた自身の生の一部となる」
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