臨教審のいじめ論議といじめの根本療法・対症療法と早期発見
私は政府の臨時教育審議会専門委員時代にいじめ論議に参画した。
このときすでに現代の子供たちのいじめの心情に共通するものが あったように思えるので、以下、詳しく取り上げたい。
いじめは子供社会にはつきもので、かつて子供たちは、それを通して人間関係を学び、 育ったものである。
ところが、1980年代以降、いじめを苦に自らの命を絶つ子供が出現し、今日ではインターネットによるいじめなど、いじめ問題は複雑な様相を呈してきてい る。子供の関係性の問題に親や学校・行政はいかに関わるべきか。
●臨教審のいじめ論議
臨教審で当時問題になったのは, 以下の特徴をもつ「遊び型いじめ」であった。
ある特定の行動傾向をもつ子供(複数)を中心とする、グループによる組織の行動で あること
ターゲットにされた子供に、ある「演技」をするよう暴力的に強要し、笑い の種にしている
いじめ行動それ自体を楽しむ「遊び」であり、クラスの子供の大部分 や時には教師をも巻き込んでいる
長期にわたり陰湿に繰り返されること。
「教師をも巻き込んでいる」というのは、昭和61年に、当時中野富士見中学校2年生だった鹿川裕史君が「葬式ごっこ」といういじめを受けて自殺した事件を指している。
この事件は教師も関与していたということでマスコミが大きく取り上げて大問題となった。
鹿川君をいじめた生徒は、数年後に次のように発言しているが、いじめの根っこにある心理 がよく表れており、今日のいじめにも共通するものとして注目する必要がある。
これはストレスの発散としていじめが生まれていることを示す非常に率直な告白といえる。
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