占領軍の眼によって「消された言葉」
●占領軍の眼によって「消された言葉」
昭和21年2月4日、GHQは「教科書検閲の基準」を作成し、軍国主義、超国家主義のみならず、国家的英雄や愛国心につながる「我が国」、立派な皇族、神道や神社に言及すること自体を禁止した。
『閉ざされた言語空間』の著者である江藤淳は、「かへる霊」という一文の検閲前と検閲後の文章を比較して、次のように述べている。
削除された文章は以下の通りである。
私はこの検閲資料が保管されていた米メリーランド州立大学の大学院に留学して教育心理学の授業を数名の博士課程の院生と受講しながら、マッケルディン図書館所蔵のプランゲ文庫の膨大な検閲文書の調査研究に約半年間没頭し、暗い書庫の中で、戦後日本人が失ったものは何かを探し続けた。
今では同文庫はマイクロ化され誰でも閲覧することができる。
●「言葉狩り」で削除された『蛍の光』『蝶々』『われは海の子』
音楽教科書から消された「唱歌・童謡」の実態は目を覆うばかりである。
【蛍の光】
唱歌『蛍の光』の教科書掲載から削除された3番と4番の歌詞はこうである。
【桃太郎】
また、軍国主義のレッテルを貼られた『桃太郎』も「日本人の奸計(かんけい)と武力主義を象徴するもの」「大陸を蔑視し、侵略主義の根性を暗示するもの」と見なされ、4番の歌詞「そりゃ進めそりゃ進め 一度に攻めて攻め破り 潰してしまえ鬼が島」が問題視された。
【蝶々】
「菜の葉にとまれ」でおなじみの『蝶々』は明治14年、わが国で最初に作られた音楽教科書に掲載された歴史的な曲であるが、「桜の花の 栄ゆる御代に」の箇所が「花から花へ」に書き換えられた。唱歌の父といわれる伊沢修二が、皇室の繁栄を桜にたとえて付けた歌詞が書き換えられたのである。
【田植】
さらに中山晋平が作曲した『田植』では、「み国のため」が「みんなのために」に書き換えられ、“民主主義”的な歌詞となった。
【われは海の子】
『われは海の子』の7番の歌詞「いで軍艦に乗り組みて 我は護らん海の国」も問題視され、3番までしか歌われなくなった。
削除された4~7番の歌詞は次の通りである。
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